こんにちは"(*´˘` )♥(´˘`๑)"こんばんは







今日は長文ですが最後尾にまとめがあります。ご参考に。







以前の私は、スピリチュアルにハマってたとき、もっとこうしたい、もっとこうしなきゃ、もっとできる、もっとやれる、私はこんなもんじゃない、自分史上最高になるんだ、私は神だ(笑)、私は偉大なんだ(笑)、私は創造主なんだから、まだいける、まだまだ!こんなもんじゃないんだー!







って、【もっと症候群】に罹ってました。







あなたはもっと変われるんです!、あなたが本当のあなたになると、するすると動き出すんです!宇宙が応援してくれるんです!!






そういうキャッチコピーを心から信じて、まんまと乗っかってました。






そして、自分が想像した通りにいかないことに対して、「あれ?宇宙の応援がない、、」と真っ青になるのを我慢して堪えながら嘆くんです。






だけど今ならはっきり言えますよ。[宇宙の応援ない]っていうのの意味は、自分の思考で考えたシナリオに対して応援がないって言ってるんだってこと。







それは頭で考えたストーリーです。しかしストーリーとは思考で考えるものではなくてただ起きていくこと。そのことを知らないから、頑張ってこうなったらいい、を常日頃からコントロールしています。コントロールすることに時間をかけています。






それはなぜかというと、引き寄せの法則が元になっていたからです。それを信じたからそういう思考パターンになったのです。信じなければその思考パターンは形成されませんからね。







自分が意識想像したことが、顕現創造されていく、というのがスピリチュアルの一般的な解説なので、






それを鵜呑みにして最大限の前提としているから、こうなったらいいなという望み(=頭で考えたこと) の通りになるはずだ!なってくれ!というコントロールが密かに入っています。






けど当時はまだそのこと(コントロールしていること)に気付けませんので、こうなったらいいな〜に対しての応援が入るだろうと思ってるんです。






(期待することがいけないとかそういうことを言っているのではないのです。単に期待が入っているよね、という事実の囁きです。)







そこで宇宙からの応援という後押しが入らないと、するするスムーズに行くはずなのにそうならない、、、これはおかしいぞ?となり、どうしてエイブラハムの書籍のようにやっているのにうまくいかない?バシャールの言ってることをやってるのにそうはならない?と途方に暮れだし、疲れて落胆するという演劇を繰り広げます。じゃあなぜ落胆するのか?






他人との比較をしているからですよね。

どこまでも、この3次元は比較の世界なんですよ。どんなに並行世界って言ったって、並行世界って言うごとに【比較】のトリックから抜け出せませんよね。視座の高い5次元意識って言ってったって【比較】ありきなんですよ。5次元意識でよく言うのが「目覚めてください」ですが、目覚めて!って言うのは、目覚めてる人と目覚めてない人を現しますから、二元なわけですよね。比較なんですよ。







ついでに言うと、ワンネスって言ってたって、誰1人、岸田も自分とは誰も言わない、ヒトラーもアインシュタインも、ロス家も、殺人鬼や通り魔も、天皇も、有名なスピリチュアリストも、【それも自分】だとは言いません。聞いたことがない。ワンネスの意味を本当は知らないんじゃないかって思うけど、、、それはまあいいです。







話を戻しますが、宇宙があると思い込んでた当時の私ですから、【宇宙の応援が入るとするする進むんです。あれよあれよという間に人生が変わったんです】、という語り口をどこかで読んだか聞いたという事前知識があるから、自分もそうなるはずだというコントロールは、厄介です。でももっと厄介なのが、【落胆】という行為です。







別に、思う通りにならなかったからって落胆することないのに、自己を啓発や尊重するのとは真逆の、

落胆したり、失望、自信喪失、自己卑下ひどい時自己憐憫をして、自分を落としていきます







これらは面白いほど、過去流用します。その過去と記憶している記録場までマッハで走っていき、脳という記録媒体を通して、【過去にこんなことがあったので今回も君はうまくいかないよ】という無意味な意味付けの烙印=ハンコを押してくださいと頼んでもいないのに、だいぶ強く真っ黒く押してくれて、過去があたかも確実にあるように、設えてくれます。

 






過去は幻想って言うのにね?

私たちは今しか生きてないんです、って言うのにね?今しか生きてないならなぜヒプノセラピーを受けるの?落とし所を探してるからなんじゃない?ま、いいんだけど。








そして『ああああ、、私はまだ、、だめなのか、、、』と自分を責めることに専念しているのです。無自覚に。無意識に。ことあるごとに。








そして、コントロールできるはずなのにできなかったことに対しては、スピリチュアルの見解では、そのことを、優しさのあまり、ブロックって(都合よく)呼んでいます。親子関係に問題があったからですと因果関係を作りますカルマって意味付けしてます。チャクラが整っていないからと意味付けします。オーラが乱れていますから調えましょうと理由を作ります。






こういうめんどくさいこと、を起こしてるのはスピリチュアルの解説からきます。もしもスピリチュアルの解説がなかったら?こんなめんどくさいこと、知識としてインプットしないで済むんですよ。






だけど、それは、

底なし沼の欲望と気張った希望は、私という物質を唯物主義の3次元から、正しい世界を見つけた!と思い込んだ、幻想の5次元意識に、連れ出してくれます。






ついこないだまで、5次元意識が正解だ!と疑うことはなかったけれども、それもそもそも幻想です。物語です。ストーリーです。起きてきたことです。






しかし、そんなことは本当はどうでもいいのです。到達点なんかない、成功もない、人間が人間のために人間意識として成り立つ方法のために掲げた、言葉たちの組み合わせに過ぎないから。






つまり、言葉たちの組み合わせとは、意味付けめんどくさいほどの意味付けを活用するには、スピリチュアルという世界観の解説は、非常に有効でした。








意味付けに過ぎない、とそう分かってもまだ、スピリチュアルの威力は凄まじくて、引っ張られます。

これが全てで、これが最善で、これが最高なんだから、これでいいのだ!と、【満足しよう】と思考で満足の方向へコントロールするのですね。自分はもうすっかり、5次元意識を知り本当の自分を思い出したのだから、【満足してる】と思ってるんですが、







満足さえしてれば、人生は安泰だ、とどういう流れでか、そんな条件を記憶してしまったために、【満足さえしてれば、人生は安泰だ】という言葉に翻弄されます。それが条件付けだということに気づけるまで。。。







だけど、満足してないからこそ、スピリチュアルな方へと向いてしまうのです。







頭では満足してる、って言いながら、探究がやめられないのは頭が欲してる、自分がやってると思ってる、自分があると主張してる、自分が神だと称賛されたがる、自分が創造主で全てだと威張りたがる。探求するのは私がしてる、自分を知るために自分がしてる、と言い張る。






探求は→もっと知りたいことがあるから、と文章にして、これを理由にしてます。頭で理由を掘って持ってくるのです。伝わりますかね?







そもそも、満足してるなら、欲しません。欲することに躍起にならない。お腹いっぱいだったら、静観しません?お腹いっぱいだと思うのに、まだ、他に試してないものがあるかもしれない、まだ他にもっといい見解があるかもしれない、まだ他にもっとわかりやすく語ってる動画があるに違いない、まだもっと他に、方法があるんじゃないか、最短があるんじゃないか、、、、







だって、引き寄せの法則を初めて読んでからもう6年経ったんだからあれから進歩してるよね、、、、そういう探し癖は、いろんなところから理由付けを見つけてきて、探求の旅に出かけさせようとするわけです。







それはまるで、スーツケースいっぱいに、使える衣類もアメニティも靴を入れ込んで、抜かりなく準備した状態で、とうとうと行きたいところに観光に行き、ああ楽しかったなぁ!!と満足して帰宅するわけですが、







満足して帰宅したのにも、もうすでに、あ!あっち行くの忘れた、ひょっとしてあそこだったら私の欲しい一番のものごあるんじゃないかな、と思ってまた旅に出かけて、出かけて、帰宅しては、足りてなかった何かを探し求める。





満足できないじゃんなぜなら満足しないと、事態は良くならないんだ、って思ってたからですね。







スピリチュアルは満足の方法をさまざまな媒体で示し、多くの大衆を虜にし、現実創造という満足を与えます。しかし次に、【現実は幻想だ】ということに気づき、満足とは物質ではない満足とは得るものではない満足とは他人ではない満足とは探す必要はない満足とは与えるものでもない、満足とはあるものだ、とわかります。






「知りたいことがあるから探求するのだ」、というもっともらしい理由、「魂が求めてるようだ」「感覚が指し示す方向に行くのだ」というスピリチュアリストたちが言うワクワク感が「もっとこうしたほうがいい」という「今よりもっと」を促してくれたスピリチュアルの探求は、旅に出ることと同義でした。スーツケースを引っ提げてあちこち回るのと同じですから、深く深く自分を知ることができました。





これまでの作った自分、誰かによって作られた自分、でも、それは底なし沼の欲望と気張った希望から作られていました。





そうして旅疲れ、失うものが何もない満足を知り、満足から遠ざかることに気づかせてくれます。でもそれでも人は、さらに彷徨います。





人である、というデフォルト設定が機能しなくなる日まで。







まとめると、


①スピリチュアルの解説が他人との比較を増長させていること



②宇宙の応援がないのの本当の意味



③言葉に操られるな、満足の本質を見抜け



④ 底なし沼の欲望と気張った希望がとれたあと非二元を知った







今日のは長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。😊