約3年前のことを書いていきます。
現在は経過観察中です。
小心者の私ですが、がんになって涙が出てきたことはありません。我慢してたわけでもないと思います。何と言うか…そこまで深く考えずに済んでいました。
理由を考えてみると…大きく分けて3つになると思います。
1番目
家族にがん患者が2人いるけど、大変ありがたいことに大事に至らずに経過していたということ。
私の父は、18年前(当時からさかのぼってです)に舌がんになっていました。
本人は大学病院での外科手術を辞退して、他の病院へ移り、当時はそこでしか受けられなかったタイプの放射線治療をしてもらい、その後は何の後遺症もなく過ごしています。
2024年の現在は80歳になっています
また、私の弟は当時からさかのぼって3年ほど前に悪性黒色腫(メラノーマ)が脇腹あたりにできて切除。その後は経過観察していましたが、問題なく過ごしているようでした。
(30代の弟…!
こちらのがんは手ごわいということも、私には知識としてありました。
しかも!その時は、本人の結婚が決まり入籍と挙式の間の数ヶ月のなかで病気が発覚し、手術となりました。
なぜこんなタイミングに…と、私はすごくショックで…。結婚式に出席しながらも、この婚礼写真が弟の遺影になってしまうのかな…などと考えずにはいられなかった事を思い出します)
弟も、2024年の現在も再発などもなく、子供にも恵まれて元気にしています
2人とも、運もあったと思うし、関係者にご尽力いただいたおかげです
もちろん病気になったすべての方がこんな風に良い経過をたどれるわけではないとはわかっていますが、、、私にとっては心強い事実でした
2番目
職場で病気を報告した時に、
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上司が
「体調はどうなんですか?」
ときいてくれまして、
とっさに私は
「ぜんっぜん何ともないんです~」
「ご迷惑じゃなければ、仕事は続けさせていただきたいです~」
と言ってしまい
血便以外には自覚症状がないのは本当でしたが、
仕事を続けたいかというのは、正直に言えばそこまででもなかったかもです
気丈にしていなければならなくなりました。
有言実行とはちょっと違うような気もしますが、時にはこうやって自分の気持ちを作っていくことも大事かもしれないと、今になっては思います
3番目
憧れだった北欧へ旅行したいという目標があったこと。
私のがんが発覚した頃、弟が弟が2人います。悪性黒色腫になった弟じゃないほうの弟です。北欧のある国へ赴任しました。
もともと北欧へ憧れを持っていた私
その北欧へなぜか弟が海外へ転勤する仕事をしてると思っていなかったので
これは、
私、行くしかない!!
運命でしょう
時は2021年。コロナ禍だったので、遊びで海外に行ける日がいつ来るかなんて誰にもわからないけど、その時までがんばる!!必ず遊びに行く!!
と、希望を持って弟を送り出しました
そして、2023年に実現しました
病気が見つかっても、あまり深く考えずに普通にしていられた要因はこの3つだったと思います。
そして不快に思う方がいたら申し訳ないですが、
場合によっては、治療方針を病院に任せきりにするのではなく、私の父のように自分で選択・決断することも大切だと考えています
北欧みやげです