神々の土地 3回目 | 完全に流されまくりの日常…

完全に流されまくりの日常…

突然趣味思考が突然変わりますが、良かったら覗いてって下さい~✨

ありがたい事に、
全体見易いお席で観られました。
個人的にはこの公演、2階の方観やすいと思います。

神々の土地3回目。
『歌劇』で演出家の上田久美子先生が書いた
伶美うらら姫への贈る言葉を頭に入れて観てると様々な事に気付きましたリラックマ



イリナ(伶美うらら)が言う
「この国で自分に出来ることをしたい」
という言葉。
浸みますねううっ...


久美子先生が、
うららちゃんの想いを大事に役を作ったんだなぁと思いました。


久美子先生が書いていた
『ミュージカル流行りの昨今の宝塚』

これが、
うらら姫が悩み抜いて出した結論の直接的な
原因と上田久美子先生は分析してる訳で。


うらら姫はとにかく、
演技に特化
した美しい娘役です。
その存在は作り手を刺激すると久美子先生はかいてました。


うらら姫ほどの娘役なら、
彼女の得意とする分野を活かした演出にすれば良いと、
たくさんのファンが思った事でしょう。


でも、
うらら姫は、
そんな事
して欲しくなかったんじゃないかなって思いました。


自分のために劇団が用意する、
宝塚歌劇の進みたい方向と反対側の
非ミュージカル的な演出


それは宝塚歌劇において、
お荷物
以外の何でもないと思ってたから。



周りがそうは思うかどうかではなく
うらら姫自身が真面目に向き合って考えていたのだと思いました。

だから、図々しくも自分用のスペシャル演出を用意されることなんて、
絶対嫌
だったのではないでしょうか。
だから、敢えて歌のある
アムネリス様や、
マダム・ヴォルフ夫人に挑戦してたのではないでしょうか。



『神々の土地』冒頭で、
イリナがたくさんのダンスのお誘いを受けながらも断り続ける姿は、

もしかして、
自分のために用意された特別な演出を断り続けていたのかなぁ?
その当て書き?とか思いました。






近年の
『ミュージカル』
について定義を考えてみましょう。



それは、
歌、
踊り、
ライブ感が強くある舞台。

ストーリーを進める上で重視すべきは、
歌とダンスの迫力。


それが最も良く出た代表作がこちらでしょう。

エリザベート(2016年宙組)。

All For One(2017年 月組)


1789(2015年 月組)


エリザベート、1789はいずれも宝塚歌劇、帝国劇場などでも行っている大型舞台。
これらは、
ストーリー展開に
音楽と歌とダンスが必須条件です。


つまり、
そういう時代なんですよね。

宝塚歌劇もその時代の波に乗らなければ、
いつまでも古くさい古典的な手法を繰り返す劇団というレッテルを貼られ、
100周年プロモーションで得た
新規若手ファンを手放す事になってしまいます。


ファンが高齢化し新規ファンが獲得出来ず、
2012年にはとうとう観劇者125万人(現在の半分以下)を割りこんでしまった宝塚歌劇。

そんな時代に戻れば、
1番悲しいのは作り手です。。 

各組の組長が、
本当に涙ながらに千秋楽で挨拶する
本当にたくさんの方々に観て頂いて
という言葉をいつも聞いてて、とてつもない重みを感じます。


こんな時代に戻りたくないし、
戻したくもないのは皆が同じ。


作り手のうらら姫も、
同じだったんじゃないでしょうか。



でも久美子先生は書いてました。
全員が同じ個性である必要は無いと。
うらら姫の演技と美しさには、
価値があるのだということですよね。


だから、
せーこちゃん(純矢ちとせ)が
『美しいものを見るのは価値があるのよ』

と、何度もイリナに向かって言ってたのではないでしょうか。


でも彼女には言えなかったと。
彼女の人生を左右することだろうし、
久美子先生も責任が取れない立場だった。



そんな想いがたくさん詰まった、
久美子先生の『イリナ』。


なんだか切なくて切なくて、
本当に悲しいので見終わった後、
しばらく立てませんでした。


あと1回の観劇になりますが、
美しい宝塚歌劇団の娘役、
伶美うららをしっかり観ておきたいと思います。