今回は名シーンというわけではないのですが、ジェーン・オースティンという女流作家についての私見を書きます。
オースティンの作風の魅力は、イギリス貴族特有の辛辣さの中で繰り広げられる、恋愛のロマンティックさです。
「高慢と偏見」では、最初は毛嫌いし合っていた男女が、だんだんと強くひかれあっていく恋愛小説です。
最初は嫌いだった人の、意外な一面を見た時、逆にその人に恋に落ちてしまうということは、実際に結構あると思います。
私も、最初何となく嫌いだった人を何かのきっかけですごく好きになってしまったということは何回かあります。
そういうとき、その人を知ってから、何年もたってから、急に好きになったりするのですが、最初から一目ぼれするのとかと違って、結構その時の思いというのは強くなったりします。
これは「ギャップ理論」とも言われていて、どうでもいいと思っている相手なら、そもそも嫌いにも好きにもならないのですが、嫌いな相手の場合は、逆に、何かのきっかけで好きになってしまった場合は、反動ですごく好きになってしまうんです。
私の考えでは、恋愛の究極系というのは、「最初から強くひかれあう恋愛」か、「最初嫌いだったが途中から好きになった」の2パターンしかなく、小説の場合は、後者のほうが盛り上がるので題材としては適しています。
ちなみに最も究極の恋愛は、私は前者のほうで、特に「初恋」だと思っています。
オースティンが「初恋」ぽいものを描いている「エマ」という小説も面白いです。ちょっと男女の年齢差があるんですが。
女が求めている理想の恋愛を描けるのは女流作家のみで、絶対に男の作家には描くことはできません。
私は自分が女だからかもしれませんが、男の作家の描く、男目線の恋愛は、あまり受け付けず、このような女流作家の描く恋愛小説こそ、ロマンを感じます。
ちなみに、こういう、女流作家が理想の恋愛像として描くような恋愛は、リアルではほとんどお目にかかることはないです。
女の人というのは、「他の人じゃなく君じゃないとだめだ」と言われることを望んでいます。
また、大して美人でなくても、家柄も財産もなくても、性格がよくなくても、愛してほしいと思っています。
たいていのリアルの男は、美人じゃなく、性格も個性的で、金もない女性を選びませんから、リアルでは、女性は、男に合わせて本当の自分はある程度隠さないといけなくなります。
女が賢すぎたり、やたら仕事ができたりしても、嫌がる男もいますね。
リアルの男は、女が求める理想の恋愛に出てくる男主人公のようにはふるまってくれません。
(もしそのようにふるまえたら、その男はすっげーモテるだろうと私は思います)
「高慢と偏見」のヒーロー役のミスター・ダーシーは、癖のある性格のヒロインだけを愛してくれ、自分のプライドを曲げて、身分の低いヒロインのために膝をついてくれる王子様キャラです。最初はいやなやつなのですが、途中から優しくなり、ギャップ理論で攻めてきます。最初が嫌な奴な分だけ、頑張ってくれてるときの点数がはねあがっていきます。しかも、最初が嫌な奴とはいえ、元々はイケメンでお金持ちでかっこいい男みたいな感じのキャラです。
「私の言ったことで、反省して、考えを変えてくれたんだ」って思って、ヒロインは嬉しくなるんですね。ずっといやなやつのままなら、ダメですけど、変われる男はポイントが高いのでしょう。
また、最初から、何か気に食わなかったといっても、なんだかんだ、意識していた時点で、実は好みのタイプで、気になっていたのだが、最初の印象で失敗したため、嫌いと思い込んですませていたとか、性格が似ていたので同族嫌悪していたという感じだと思います。
「高慢と偏見」は永遠のラブストーリーであり、「ブリジットジョーンズの日記」のヒーローにも、「高慢と偏見」のヒーローである「サー・ダーシー」へのオマージュとして「マーク・ダーシー」という名前が使われています。
ブリジットジョーンズの日記でも、最初はブリジットとマークは、お互いに嫌いあっていますが、実は気になってたって感じで最後は結ばれます。イギリスの作品では結構そういう、オマージュ作品のキャラの名前を使うという小ネタをみかけます。
ミスター・ダーシーっていうのは女から見た理想の男性像の一つなんですね。
女にモテたければ女性作家の描いたラブロマンスのヒーローを研究しろって私は思います。
でもモテる人はそういうの研究しないで自然にモテるんでしょうね…