France Orleans 32 | 愛犬マカロン日記

愛犬マカロン日記

マカロンは2015年11月7日生まれ♡さそり座の女の子。
家族の愛に見守られながらしあわせに暮らすマカロンです。



 

Bonsoirういんく   《オルレアン編》


街の真ん中に
ジャンヌ・ダルクの銅像


オレルアン到着です
また向こうに大聖堂が見えました
  
もしかして・・
フランスのオルレアンをご存じでしたら
なかなかのフランス通かもしれませんね。。。
私はフランス勉強会に参加して 初めて耳にしたかも?
オルレアンジャンヌ・ダルク。。。

ジャンヌ・ダルク(1412年)ってご存知かと思いますが
そ、英雄でありながら悲劇の女性。。。後、聖人となり列聖されるのですが

少し歴史のおさらい。。端折って簡潔に。。

フランスとイギリスは100年戦争と言われる長い戦争に突入していくのは
14世紀頃の話
イングランド摂政ヘッドフォード公ジョンはノルマンディー三部会を
定期的に開催することによって財政の立て直しを計っていて
シャルル7世は、反イングランド勢力との同盟を結びブールジュでの
再起を狙っていたがイングランド側は、ロワール河沿いのオルレアンを陥落させ
勢力を一気にブールジュにまで展開する作戦を立てた。。。
これに対して、1429年4月29日、イングランド連合軍に包囲された
オルレアンを救うべくジャンヌ・ダルクを含めたフランス軍が市街に入城した。
フランス軍はオルレアン防衛軍と合流し、5月4日から7日にかけて
次々と包囲砦を陥落させ8日にはイングランド連合軍を撤退させた
このオルレアン解放が、今日、ジャンヌ・ダルクを救世主
あるいは聖女と称える出来事となっている
ジャンヌ・ダルクを前にイングランド連合軍は全く手を出す事ができなかった
と言われている。
オルレアンの包囲網を突破したフランス軍は、ロワール川沿いを制圧しつつ
1429年6月18日のパテーの戦いに勝利し、ランスに到達し、シャルル7世は
ノートルダム大聖堂で戴冠式を行った
その後、ジャンヌ・ダルクはシャルル7世によりパリの解放を指示されるが失敗
1430年にはコンピエーニュの戦いで負傷、捕虜として捕らえられ
1431年5月30日に火刑に処された・・・・

ジャンヌ・ダルクの生家ではありませんが
彼女の為に用意された家として、当初のまま残されていて
鍵がかかっていて中に入れませんでしたが
 
 
裏庭には入ることができました
綺麗に手入れがされてますね
  
ここにも銅像
 
街の歩道の杭(?)は彼女の英雄の姿
 

 
電車の色が街にしっくり溶けてるのが
さすがお洒落なフランスです
日本の様に色が氾濫していない。。。
  
街は大変美しく
スワロのお店に入りたかったですけど
そんな時間も無く・・・
  
雨に濡れたオレルアンの街を歩きました
 
  
 歩道には
寄せ植えのお花鉢が置いてあります
 
 
自転車専用?

不必要なものが
どこにも見当たらないのが
フランスの美 と言えるのではないでしょうか・・・・・
 
先程見えた大聖堂へ
 
  
  
  
  
  
  
 この大聖堂も見事なステンドグラスでした


さて次はシャルトルヘ
オレルアンを後にシャルトルヘ向かいますイケアバスダッシュねっ