今回はまた母の事です。

 

病識はないけど明らかに精神疾患を長年抱えて来た母が

腰痛をきっかけに精神科病棟に入院して約2週間。

 

昨日は父と私の立会いのもと、

精神科の主治医と看護師、そして地域支援センターの保健師さんが今まで母が住んでいたマンションの部屋の中を見ました。

 

その目的は、

①母が今までひとり暮らしでどんな生活をしてきたかの確認。

②退院後どうするかの方針を決める為。

です。

 

母の入院後、本来はこのマンションの所有者、名義人の父が

カギを開けて様子を見たら、それはそれは悲惨な状況だったそうです。

いわゆる「ゴミ屋敷」。

 

実は私は1999年に結婚するまではそこに住んでおり、

2001年位までは

まだ赤ちゃんだった息子を連れてその部屋に行った事があります。

でも、その後2002年位から急に母から

「お母さんが住む部屋は片付いていないから誰も入れたくない。

会う時は外で会おう。」

と言われ、

私が「え?でもお母さん一人暮らしで心配だし、

たまには部屋に入れてよ。

そこには私が結婚前に使っていた部屋もあるし、取りたい物もあるし。」

と言っても、母は頑なに私も父も部屋の中に入れようとしませんでした。

 

だから「母が孤独死したらどうしよう。」

という不安も常に持っていました。

 

覚悟して私も約15年ぶりに母が入院するまで住んでいた部屋の中に入ると・・・。

 

本当に「ゴミ屋敷」でした。

私自身も掃除は苦手ですが、

いわゆる「水回りに水垢がある」とか、

そういうレベルを超えていました。

 

父とも話しましたが、多分10年以上掃除をしていないような

誇りまみれの部屋でした。

かつて私の部屋だったところも、ゴミ袋が積み重なっており、

もうやるせないとしか言いようがなかった。

 

かつて私も住んでいた部屋。

本来ならばここは私の実家であるはずなのに、

もはや人間が生活出来る部屋ではなくなっていた・・・。

 

涙も出ない思いでした。

そんな部屋にずっと一人で住んでいた母。

父が一緒に住むと言っても、

私が家の中に入りたいと言っても、

頑なに拒んでいた。

きっとプライドの塊のような母はこんな部屋を

娘には見せたくなかったのでしょう。

でも母のプライドはまるで「砂の城」のようだ。

表面だけをただ取り繕っていただけ。

 

普通の人間はこんなところには住めない。

母も退院後にここに戻すのは医師としても認められないと

主治医の先生も言っていました。

 

母のこの状態は「ホーディグ」といって、

いわゆる「ゴミ屋敷」に住んでいる人達共通の状態の様です。

 

主治医の先生は、

「お母さんは今まで『密室』で生活してきて、

ご家族も悩みを抱えていたと思いますが、

これからは医療や福祉などの「第三者の目」を

入れる様にしないといけないと思います。」

と言っていました。

 

これから私も父も自分達だけで悩まずに医師、

福祉関係の人達と何でも共有していきたいと思います。