「せんべろの聖地」の習俗 | ☆ Pingtung Archives ☆

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もとは(湾生の母にまつわる)戦前の台湾・屏東(Pingtung)や引揚げ、さらに2016年の屏東訪問の記録。今は思い付きの日記で、映画やドラマ、本、受験、犬、金融・経済、持病のIgGMGUSそして台湾とテーマは支離滅裂です。♬マークは音楽付き。

本日の日経文化面の記事です。

書き手はこの地(葛飾区立石)で生まれ育った学芸員、谷口榮さん。

 

”せんべろ”とは、千円札一枚でべろべろになるまで酔うこと。

「せんべろの聖地」の場所は葛飾区立石周辺。

 

ここいらの飲み屋で出されるのは、甲類焼酎を炭酸水で割った「焼酎ハイボール」と豚のもつを使った料理。

もつ料理は「もつ焼き」「煮込み」「刺し」が「三種の神器」だそうです。

 

(日経新聞電子版より)

    

立石は町工場で働く人や日雇いの労働者が集まってくる場所となり、安くて栄養価の高いもつ料理とすぐに酔える酒が提供されるようになった・・・

 

    

立石には独自の作法や個性がある店が多く残る。ある名店の、もつの種類、焼き方、味付けを並べて口にする呪文のような注文の仕方は、難解と思われることもある。

 

    

近年では、昭和のノスタルジアを誘うものとして「せんべろ」に新たな価値が見いだされるようになった。以前はとても考えられなかった女性の1人客や若者へも人気が広がっている。

 

学芸員が書き手だけあって、「呪文」とか「習俗」という言葉に、The昭和 のノスタルジアではすまされない何かを感じます。

普通、こういう場所はシャッター通りにぽつんと残った店が多いのですが、ここは商店街もまだまだ元気らしいのです。

「飲み歩きの聖地」京成立石が大変貌する理由 「せんべろの街」駅前は高層ビルに | 駅・再開発 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)より)

でも、このところの再開発でその存続はあやしくなってきたらしく・・・

今がチャンス、ここはひとつ行ってみようか・・・

しかし、誰と。(夫は飲めない)

京成押上線。

こういうのにつきあってくれそうな友人がすぐには思い浮かびません。

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葛飾区で、ふと、昔の同期の男子のことを思い出しました。

1987年当時、給料の手取りが13万円ぐらいだった頃、何を思ったか彼は、金町(柴又の近く)に新築の戸建てを買います。

バブルの走りの頃です。

会社の寮もあるし、結婚するわけでもないのにどうして?

バカだなぁお前ら、今買わないでいつ買うの?

そういう彼の買った家を一度見に行きました。

いわゆる狭小戸建てですが、ただものではない狭さ(建坪10坪未満)のうえにかなりの安普請。

お前こんなの買って飲み代人にせびってんの?

と他の同期に揶揄されてもどこ吹く風。

ローン返済でカツカツの生活ながらどこか憎めないキャラで、飲み会を人々(←私たち)のカンパで乗り切ってました。

 

この物件とその同期がその後どうなったのか、(私はその会社を辞めてしまったので)わかりません。

バブルは崩壊したけど、ピークで掴んだわけではないので多分ひと財産になったはず。

M君、どうしてるかな・・・

懐かしい思い出です。