実家の母(91才 要介護1)が13年ほどお世話になったケアマネさんが退職します。
13年前のちょうど今頃、母は急性心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受けました。
ひとり暮らしの自宅で床にうずくまり苦しんでいるところを、運よく宅食のお姉さんに見つけてもらい、その人のクルマでかかりつけ医へ。
心電図をとったかかりつけ医はすぐに救急を呼び、ご自分も同乗してくださって大きな病院へ向かいました。
心臓カテーテルの手術を受けることになり、家族に連絡が来たのは夕方ごろ。
1年生になったばかりの子供を連れてその日の夜便で病院に駆けつけました。
母は、この時の入院でだいぶボケたように見え(←すぐに回復しました)、退院時には当然私か妹の家で引き取ることになると思いました。
ところが母は、「ひとりでやってみる」と言うことをききません。
困り果ててかかりつけ医に相談すると、案の定
あんたたちは親を捨てるの?
とお𠮟りの言葉(つまり引き取りなさいという意味)。
退職されるケアマネさんとはその時からのおつきあいです。
母の希望と子供の気持ちに寄り添いながら、(私や妹が引き取らないスタイルでの)最適解を模索してくれました。
そこから母に非常時ブザー付きの携帯を首にかけさせ(←途中で止めましたが)、ヘルパーさん週3日体制が始まりました。
その後も腸のポリープ除去、心臓のステント取り換え、足のケガの手術を乗り越え今に至ります。
もともときれい好きな母ですが、週5日ヘルパーさん体制になってからはより片付けが行き届くようになりました。
ヘルパーさんに気持ちよくやってもらいたい
一心だそうです。
私や妹に世話をかけないようにとの母の気持ちを思うと、散らかし放題になりがちなお年頃なのに頑張ってる母がいじらしく、後ろめたさはぬぐい切れません。
ただ、13年もこの体制でやってみて、本人にやる気さえあれば、これはこれで幸せかも、とも思います。
入浴の介助
ゴミ出し
通院の付き添い
掃除
買い物
簡単な調理
ひとりではできなくなったこれだけのことにヘルパーさんの介助を受けて、住み慣れた家で清潔で快適な暮らしを続けられている。
気を遣いながら子供のところに同居したり施設に入るよりよっぽど幸せ とは本人の弁。
13年間、ケアマネさんはそんな母を支えてくれました。
救急車に同乗してくれたかかりつけ医も一昨年亡くなりました。
みなさまに感謝しかありません。
そして、そんな老後を可能にしてくれるこの国の制度もありがたいと思います。
ただ、この制度の今後のことは見えません。
自分が母の年齢まで生きていてこれだけの行き届いたサービスを受けるには、母の何倍ものお金を払うことになるな、と思います。
どこかでターン・アラウンドの波が来れば別ですけど・・・