佐藤優の口ぐせ 「それだから」 | ☆ Pingtung Archives ☆

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60代おばちゃんの徒然です。映画やドラマ、本、受験(過去)、犬、金融・経済、持病のIgGMGUSそして台湾とテーマは支離滅裂です。ブログのきっかけは戦前の台湾生まれ(湾生)の母の故郷、台湾・屏東(Pingtung)訪問記です。♬マークは音楽付き。

ちょっと前まで、佐藤優氏について知っていることといえば、元外交官、ロシアの専門家、鈴木宗男の盟友で一回収監された・・・ということぐらいで、そう興味もなかった。

が、ここへきてこの人のことがちょっと気になっていた。例えば、たまたま手にとった週刊新潮の『佐藤優の頂上対決』でのキレのいい発言なんかを読んで面白い人だな、と。

そんな中、緊急事態解除で再開された図書館の文庫のコーナーで見つけた佐藤優の本2冊。

 

 

 

 

あとがきを読んで借りてみたら面白かった。

 

『先生と私』

概要(本の裏表紙より)

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モーパッサンの「首かざり」を教えてくれた国語の先生。『資本論』の旧訳をくれた副塾長。自分の頭で考えるよう導いてくれた数学の師。――異能の元外交官にして、作家・神学者である〝知の巨人〟はどのような両親のもとに生まれ、どんな少年時代を送り、それがその後の人生にどう影響したのか。思想と行動の原点を描く自伝ノンフィクション。

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簡単に言えば、佐藤氏が生まれてから高校に入学するまでの自伝である。

しかし、ここに登場する教師、両親、そして語り手である佐藤氏自身を含むすべての登場人物が”タダものではない”。

母親は沖縄の久米島出身で壮絶を極めた沖縄戦の生き残り。父は陸軍航空隊の無線通信兵で、終戦を北京で迎えた。そんな二人が、アメリカ占領下の沖縄で恋に落ち、東京で所帯を持つ。

戦前に生まれ、事情がゆるさず希望通りに勉強できなかった父母は、子供達に勉強の機会を惜しみなく用意する。

塾に行けば、モーパッサンや資本論、非ユークリッド幾何学を中学生に教える教師がいる。

そんな恵まれた環境に見事に応えたのが佐藤氏、というわけだ。

 

ほぼ同世代としてわが身をふりかえるとふきだしてしまうほど牧歌的音譜

超絶田舎に住んでいた中3の夏、生涯で一度だけ通った学習塾へは、国鉄バス(旧石器時代か!)とフェリーを乗り継いで通った・・・ 

そこではモーパッサンや資本論、非ユークリッド幾何学などに出会うことなどなく、出会ったのは田舎では見かけないカラーの蛍光ペン。

 

 

これらのペンを駆使してカラフルにマークされた隣席の友人のテキストやノートに目をまるくしたポーン

はっきり言って、ヨシミネという先生にお世話になったことと、この蛍光ペンのことぐらいしか思い出せない。

教育も受け手次第です。

 

高度成長期と時を重ねるこの本は、焼け野原から立ち上がり未来を信じていた日本人やその社会の記録という一面もあってなかなか面白い。

 

 

『いま生きる「資本論」』

概要(新潮社webより)

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ソビエト崩壊後、貨幣代わりに流通したマルボロから「一般的等価物」を語り、大使館にカジノ代をたかる外遊議員が提示したキックバックに「金貸し資本」のありようを見る。『資本論』の主要概念を、浩瀚な資料と自身の社会体験に沿わせ読み解きながら、人間と社会を規定する資本主義の本質に迫る。過労死や薄給のリスクに日々晒される我々の人生と心を守る、白熱のレクチャーによる、知の処方箋。

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「資本論」で思い出すのは大学に入学したての4月。

1年次から必修のゼミが課されていたその大学で、出席番号で割り振られたゼミのクラスでのこと。

はじめてのゼミに、教官は「資本論」を持って現れた。

簡単な自己紹介が一巡してその教官は1年間かけて「資本論」読もうかと思って持ってきました、と。

その時の空気をなんと形容したらいいのか・・・

大半が地方から産地直送の18歳で、資本論もマルクスもかすりもしないで生きてきた顔、

「資本論」を回覧しながらしばらく不毛な会話が交わされる。

そして、回覧が終わるころ、その教官は言った。

「資本論を読むことは、社会の仕組みを理解するうえで役に立つと思いましたが、学者が読んでもかなり難しいものです。ちょっとみなさんには早いかもしれません・・・来週別のテキストを持ってきます」

能天気な18歳への最大限の配慮ある言葉である笑い泣き

先生、あなたはお目が高かった

もしやっていたらお互い悲劇の1年を過ごしたことでしょう。

 

・・・と思う一方で、あの時難しくてもやっていたらひょっとしたら人生変わっていたかも、とも思う。

 

マルクス主義経済とか、共産主義とか、そういうことじゃなく、この世の仕組みを俯瞰する、という意味において少なからぬ意義があったと思うのだ。

 

幻の「資本論」ゼミから時は流れて後期資本主義の世の中になり、今では「資本論」で説明できないことも多いと個人的には思う。

 

そんな中で気になったのは、この本の中で展開される以下の議論

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『資本論』の論理からすると、賃金決めるのは以下3つ。

1)衣食住とちょっとしたレジャー代といった翌月も働くことができるエネルギーの蓄えのためのカネ

2)それだけでは次の世代の労働者を作り出すことができないから家族を養う、独身者ならパートナーを見つけることにかかるカネ

3)資本主義は発展していくとともに技術革新があるのだから、その技術革新に対応するための学習費用

 

今の日本においては、上記に基づく賃金が払われていない。つまり、家庭を築いて次世代を担う子供たちに満足な教育機会を与える財力も持ちえない、ということ。

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上記によると、長い不況で貧乏になった日本は、社会全体の教育水準が地盤沈下していて、イノベーションを起こすような次世代を再生産できなくなっている。

そして、資本の力に押しつぶされた人間たちが非婚や子供をつくらない人生に走るのは資本主義というシステムが自壊しているプロセス、なのだそう。

 

・・・なんか、暗くなるガーンガーン

 

たしかに、長い不況で日本は貧乏になった。

稼げないのに震災も洪水もコロナも絶え間なく襲来し、災害対策費が膨れ上がる。

原発の処理にもお金がかかる。

ますます貧乏。

 

アベノミクスは、若干の円安と株高、局地的な不動産価格高騰を招いて終わった。

 

この先、日本に分があるとすれば、西ノ島などの新島を足掛かりに排他的経済水域に眠るレアメタル採掘に成功して、それを盾に世界とわたりあうことぐらいか?

情けないくらいちっちゃいえーんギザギザ

 

 

2冊の本で気づいたこと。

それは、佐藤優氏の文章における「それだから」の多用です。

「だから」じゃなく「なので」でもなく「したがって」でもなく、あえての「それだから」。

 

この冗長な感じが結構好きです。

ちょっとうつりそう。

 

 

それだから貧乏でも(じゃなくてだからこそ!)教育は重要なんですね。