屏東紀行6(屏東縣政府のおみやげ) | ☆ Pingtung Archives ☆

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60代おばちゃんの徒然です。映画やドラマ、本、受験(過去)、犬、金融・経済、持病のIgGMGUSそして台湾とテーマは支離滅裂です。ブログのきっかけは戦前の台湾生まれ(湾生)の母の故郷、台湾・屏東(Pingtung)訪問記です。♬マークは音楽付き。

屏東を訪れてから4週間弱。

屏東縣でいただいたおみやげをあらためて見ている。

8月は屏東のあとに実家に直行し、屏東報告。その後はいろいろとバタバタしていてゆっくり振り返る暇もなかった。

 

おみやげ(ノベルティ)は結構かわいい。

アイマスクやUSBメモリ、ペン立て、観光ガイドなどなのだが、魚とタコの相当ハデなキャラクターがかわいい。屏東縣のキャラクターなのか?くまモンみたいなものかな。

 

 

いろいろ・・・

上記真ん中の「千尋萬年渓」という本は、屏東縣政府発行のもの。屏東地区の昔の写真(日本統治時代を含む)などが掲載されている本で、屏東縣のFさんがわざわざ用意してくださった。この中に、米軍による台湾製糖敷地と社宅界隈の地図があった。爆弾落とす場所を特定するためか、精密ニヤリ整然とした区画は今も残っていた。(千尋萬年渓より)

近くには、空襲で町中の家が焼けてから住んだ昭和町の家のあたりも出ている。(他の地図では圏外で出ていない)

赤丸の部分と思われるあたりの現在↓

 

母に屏東縣のノベルティを持ってもらって撮影

 

50年にわたる日本による統治。植民地支配には支配する側とされる側しかない、それが現実だと思う。それなのに、東日本大震災の時に台湾が集めてくれた義援金は200億円に上る。これはアメリカとほぼ同額。人口はアメリカの13分の1、GDPに至っては35分の1の台湾が、かつて統治を受けた日本に対してこんなに支援をしてくれる。このことを、しっかりと受け止めなければならない。

屏東縣で、思いがけなく受けた厚遇を噛みしめながら、台湾の人々の懐の深さに思いをめぐらした。

 

 

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