母の出生地、台湾の屏東を調べていたら、戦前の屏東市の地図を見つけた。
作成したのは「屏東会」という戦前屏東で暮らしていた人々からなる組織。地図は、この会の人々の記憶をもとに起こされた。貴重な地図を、新宿にある 台湾協会 でコピーさせてもらった。
日本の統治下だったのだから当たり前ですが、町の名前、通りの名前、屋号など、すべて日本名。これを見ると当時の人々の暮らしが生き生きと想像される。
遠くに暮らす母にこの地図を送ったところ、「懐かしくて、嬉しくて、興奮して夜眠れなかった。時が戻った」と、嬉しそうに電話をくれた。
生まれ育った家や学校、毎朝お遣いに行ったお豆腐屋さん、踊りのお稽古の場所だった料亭、プール・・・これらを地図に見つけたとき、70年前の記憶が昨日のことのように甦った。
そして、これらの具体的な名前をきっかけに、ありとあらゆるディテールを語り始めた。離れて暮らしているので電話なのがもどかしいが、心なしか声も弾んでいる。話を聞いているうちに、この日本統治時代の屏東という町が今でもあるような錯覚を覚えた。
屏東で母が住んだ3軒の家のうち2軒は空襲で跡形もなくなったが、最後に残った昭和町という少し郊外にあった家は、40年近く前、祖父母が屏東を訪れたときにはまだあったとという。レンガ屏に囲まれた家。もうさすがにないのかな。
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