こども園でたくさんお世話になった看護師のホリエ先生、出産を控えており、先日退職されました。
こども園には看護師の先生が3人いらっしゃって、メインは毎日午前中勤務のアマノ先生。
週1~2日・午後勤務のヒロタ先生、そして週3~4日・午後勤務のホリエ先生。
入園前からいちばんお世話になっているのはアマノ先生だけど、普段はなかなかお会いできなくて、ホリエ先生と会うことがいちばん多かったです。
ホリエ先生は、以前小児がんの子が多く入院している病院の小児科病棟で勤務経験があり、命に関わる病気を持つお子さんや保護者の方と接する機会が多く、私にもたくさん声を掛けて下さいました。
初めて会った日のことはよく覚えている。
ホリエ先生は、息子が2歳児クラスだった年の秋からこの園で働き始めました。
お迎えの時に私が廊下で待っていたら、私が息子の母だと気づき、わざわざ挨拶してくれたんです。
中途採用の看護師の先生が保護者全員に挨拶をして回るとは思えないので、息子の病気のことを分かって声を掛けてくれたんだろうなと分かりました。
ちょうど成長ホルモン負荷試験で入院した後だったので、
「成長ホルモンいいですよね。背伸びますよ。」
と熱く語られたのを覚えています。笑
でも当時の私は
「心臓(肥大型心筋症)の悪化が心配。背が低いことはそれほど気にしていない。」
と思っていたので、この人は事情も知らないのに何を熱く語っているんだろうと思いました。
その後、成長ホルモンの治療については迷いに迷いました。
検査入院以降、体力がすっかり落ちてしまい、日常生活がままならないほどになった息子。
成長ホルモンの筋肉を付ける効果に期待して、息子の疲れが軽減することを願い、心臓悪化のリスクのある治療に踏み切ったのです。
ホリエ先生はとにかく使命感に燃えるタイプで、私の不安感や心配を聞き、察し、その都度声を掛けて下さいました。
時にはお節介だったり、厳しい物の言い方をされたり、ということもあったけれど、
「おかあさんのことが心配だから。」
「今思っていることは、今伝えないといけないと思うから。」
という強い信念を持って、ずっと私に接してくれていたし、息子のことも人一倍気にかけてくれていたと思います。
だから私もホリエ先生には心を許していて、割と思うことを話せていたかなと思います。
空き教室を借りて2人で話し込んだ(?)こともありました
看護師の先生はいつもいろいろな教室を回っているので、担任の先生と違っていつでも会えるわけじゃありません。
もうすぐ退職と分かっていても、なかなか話す時間はありませんでした。
最終日、息子のお迎えに教室に行くと、ホリエ先生は隣の教室にいたようですが、私の姿を見て、廊下に出てきて声を掛けて下さいました。
「おかあさん、私、今日最後なんです。」
「やっぱり今日ですよね。私、ホリエ先生に手紙書いたんです。」
と言って、手紙を渡しました。
(最近忙しかったし、気持ちが乗らずに、手紙を書くのをやめようかと思ったけれど、やっぱり書いてよかった。)
まだ赤ちゃん産まれていないし、出産祝いってのもおかしいし、保護者の立場で何かをあげるのってあんまり良くはないかなと思ったので控えめに。
私が愛用中のめぐりズムのホットアイマスク、かわいいポケモン柄をゲットしたので
ちょっとケチケチ2枚だけ(笑)封筒に同封しました。
育児に疲れたら使ってね
その後、私は担当のタナカ先生と少し立ち話していたのですが、少し離れた場所でホリエ先生も立っていて、あ、私達のことを待っているな、という感じでした。
タナカ先生に帰りの挨拶をした後、ホリエ先生は一緒に1階まで下りて、入口までお見送りしてくれました。
ホリエ先生の出産予定日は9月なんだけど、体調が戻れば10月後半?の運動会を見に来たいと思っている、と話していました。
連絡先を交換したりとかは無いんだけど、それでもこうやって最後まで声を掛けて、気にかけてくれて…これでお別れにはなってしまうけれど、たくさん助けてもらったし、いい関係を築けたんだなと実感しました。
「おかあさん、真面目だから頑張りすぎずにね。」
と言われました。
「ホリエ先生、子育てなんて大体上手くいかないことばかりだから、頑張りすぎたらダメよ。何かあったら人に頼ればいいし、ここの園、生後6ヶ月から預けられるから。笑」
息子の病気のことを分かってくれる人はそんなにたくさんいない。
病気の子どものことを不安に思う親に寄り添ってくれる人はもっと少ない。
ホリエ先生は分かっている人だった。
私が心を許して話せる人がまた去ってしまった。
それが少しだけ悲しい。
それでも、おめでたい門出です。
泣かずにお別れできてよかった。