息子が生まれてすぐに肥大型心筋症と診断された時、自分の何が悪かったんだろうって思った。

いろいろと調べたり、教えてもらったりした今なら、たぶん何らかの遺伝子異常だったんだろう、妊娠した時点で、もう決まっていたんだろうって思う。
でも、周りに肥大型心筋症に詳しい人がいなくて、その時は1人で考え込んでしまった。
妊娠中に葉酸が足らなかったから?
カフェインを摂りすぎた?
甘いものを食べすぎたからかな?
ストレス(主に仕事での)が多すぎたから?
きっとどれも違うんだろうけれど、その時はこれだと言える答えなんて、誰も教えてくれなかった。
もしかすると私の日頃の行いが悪かったから?
とか
自分の都合で2人目を産むことにしたから罰が当たった?
とか、もうここまで来ると精神論、みたいなもんだけど(笑)、そんなことを思ったりもした。
なぜ自分じゃなくて、子どもを辛い目に合わせるんだ、と。
めちゃくちゃなこと言ってますよね
それでも望まれて生まれてきた我が息子
誰も興味も持たないだろうし、共感も無いと思うけれど、自分の備忘録として、息子が産まれるまでの葛藤を書いておこうと思います
私が娘を出産したのは30歳。
息子を出産したのは36歳。
7歳差の姉弟です。
結婚したのは私が25歳の時なので、結構のんびりです
年の差きょうだいは珍しくはないと思うけれど、私の周りには同じ年の差の子どもがいる人はいないかな。3人きょうだいの上と下とかならいると思うけど。
子どもがなかなかできなかったわけではなく、仕事が忙しかったから。
2人目はだいぶ空いてるし、年齢も年齢なので、友だちから「自然妊娠?」って聞かれたけれど、不妊治療とかはしてないです。
結婚した時は、勤めていた会社が倒産して転職したばかりだったから、バタバタしていたし、仕事を覚えるのに精一杯だったから、すぐに子どもを、と思えず、次第に仕事が忙しくなり、子どもどころじゃなかった。
仕事が落ち着いてきた頃、気づけばもう結婚4年目になっていて、30歳目前となっていて、私の周りもベビーラッシュな感じになっていて、私もタイミング的にたまたまその波に乗れたという感じです
笑
仕事では上司がなかなかブラックなお方で…それこそ人権侵害的なこともよく言われたし、その中で耐えた私は、もうどんなことも耐えられる!と思った
育児が上手くいかなくても絶対耐えられる、乗り越えられる、と思ったけれど…
実際は撃沈
切迫早産入院後、ギリギリ37週で生まれた娘は低出生体重児で、飲む気ナシ!食べる気ナシ!
体重はなかなか増えなくて、毎月保健センターに呼び出されていた。
頑張ってもこんなに上手くいかないことがあるのか…と、寝不足、疲れがたまって、苛立つ毎日。
産後うつとか、育児ノイローゼとか、診断されるところまではいかなかったけれど、まぁ近いもんがあったかなー
ママ友は少しはいたけれど、地元を離れていたから、私のことを昔から知ってる友だちもいないし、会社は退職していたから、戻れる場所もない。
なんか、ホントに自分の存在価値って何なんだろう…みたいな
辛くて、毎日そんなことを考えていた。笑
子どもは何人ほしい、とかはっきり希望はなかったんだけど、やっぱり2人くらいがいいのかなーと何となく思っていた…。
でも正直、その頃は育児が思い通りにいかなすぎて、まったく考えられなかった!
仲のいいママ友が、子どもが1歳になる前に2人目を妊娠したって聞いてビックリしたよ
私は、1人目妊娠初期、つわりで何も食べられなかった。
つわりでおえおえしながら、全然食べない娘に離乳食作ったり、食べさせたりするのは無理。
1人目切迫早産入院だったから、2人目も同じように入院ってなったら、小さい娘はどうする、って考えたら、まずすぐの妊娠は考えられなかった。
娘が1歳になった頃、周りで仕事復帰するママ友が増えていった。
羨ましかった。
退職した私は、戻るところがなく、保育園探しもだけど、職探しもしないといけない。
仕事を始めたら、2人目を妊娠するのはしばらく難しい。
それでも、家計のこともあったし、私が専業主婦向きの性格ではなかったから、どうしても家から出たくなってしまって…。
こうして、2人目をすぐに妊娠することは諦め、職探しを始めた。