12月25日

Namche ( 3440m ) - Tengboche ( 3860m )

どろぼうさんの格好で歩く

ナムチェでの高度順応のための2泊後は、先に進むことになる。今日は、さらに風が強く、朝方は風のゴーゴーする音がうるさかった。朝出発する時には、強風で煽られ、せっかくポーターたちと写真を一緒にとったのに、風で台無しとなる。

この様子では、おそらく今日のルクラ線も飛ばないだろう。

さて、途中までは、昨日と同じ道を行き、途中からとても気持ちのよい道となる。エベレスト街道という素敵な名前にとてもふさわしい道のような気がする。(たぶん)エベレストとかその周りの山が前方に見え、右側に私の大好きなアマダムラム(この時点では、まだ名前を覚えていなかった。)がかっこよく私たちを見下ろしている。

歩きながら、なんだかスイスと似た雰囲気だなあと思う。

本日はさらに風が強いために、トレッキングルートを歩く人々は、みんなサングラスをし、マスクや布切れで口、鼻周りをガードしている。正体不明の人たちが、ぞろぞろと歩いているのだ。

ちなみに、私たちは、この怪しい格好をどろぼうさんの格好と名づけていた。

トレッキングをする際の、格好とは、大体上からこんな感じである。

ー夏用の帽子もしくは毛糸の帽子(大体朝は、寒くて毛糸の帽子を脱げないのであるが、歩いていると暑くなり、夏用の帽子にチェンジする。)
ーサングラス
ー口と鼻ガードのためのガーゼマフラー
ーTシャツ
ーインナーダウン(暑くなると脱ぐ)
ーかっぱのジャケット
ー登山用のタイツ
ー登山ズボン
ーかっぱのズボン
ーフリース手袋

今回、本当にお世話になったのが、ガーゼマフラーとフリース手袋である。この2アイテムは、毎日酷使し、ぼろぼろになった。決して清潔とは言い難かったが、それぞれ余分に持ってきていなかったので仕方がない。

特に私たちは、全日程晴天で雨が一日も降らなかった(すみません。ちょっと自慢しています^^)ので、トレッキング後半は、ものすごい乾燥をした山道を歩くことになった。歩くたびに土埃が舞いに舞い、口と鼻をガードしないと、恐ろしいことになっていたのである。

中国人カップル

さて、本日の宿泊地タンボチェには、とても大きなゴンパ(お寺)がある。あまりの立派さにびっくりした。私たちの宿泊するロッジは、そのゴンパの目の前にあった。Keikoさんが前に来た時には、このロッジはまだ建設されていなかったという。

このロッジに到着した瞬間、来る時にルクラまでの飛行機が一緒だった中国人カップルの女の子と会い、いきなりハグされた。

非常に告白したくないのであるが、私は中国にいた経験もあり、20年前は日常会話ぐらいなら、まあできたのだ。それなので、飛行機の中でその人達と中国語で、超基本会話をしていたのだ。どこから来たのとか私は日本人だとかの、初級教科書の初めの10ページ以内ぐらいのレベルである。それなので、私のことを覚えてくれていたらしく、私との再会を喜んでくれた。

そして、この宿の部屋の値段や、太陽の光が入ってきて暖かい方の部屋を教えてくれたり、なんだかとても親切にしてくれた。しかし、私たちの場合には、デンディジーやカルマジーがいいように全て手配してくれるため、それほどそういうことに気を使わなくてよいのだった。

デンディジーによると4時からあの立派なゴンパが、一般開放されるというので、見に行くととなった。デンディジーに連れられて、あの立派なゴンパに入っていった。

ゴンパの中には、赤い袈裟を着たラマ僧の方々がたくさんいらっしゃる。私たちには、

「こんにちは。ありがとう」

とか声をかけてくれる。

結構な人が袈裟の上にダウンジャケットを着ていて、なんだかおもしろい。そりゃそうだ。あんな袈裟だけでは、あまりにも寒すぎる。

ゴンパに入ると、デンディジーが、なんだかお辞儀みたいなのをはじめた。どうやらこれが、チベット仏教の方式なのだろう。
本堂みたいなところに、50-60人ぐらいのラマ僧が集まってきて、お経みたいのを唱え始めた。

そして私たちは、外国人用に開けられたスペースに押し込められる。するとあの中国人カップルもいた。その当時チベットに関する知識はそれほどなくても、中国とチベットの関係ぐらいは何となく知っていた。彼らはどういう気持ちでここにいるのだろうと疑問に思うが、まあそんなこと聞けないし、そのレベルの会話は私の中国語レベルではちと無理である。

僧侶たちがお経を唱えるのを聞いて、5分くらい。私は、いつの間にか、眠りこけていた。
それに気づいたのかどうかはわからないが、デンディジーが大丈夫か聞いてくる。今思うと、チベット仏教の信者からすれば、お経を唱えているその場で居眠りなんて、言語同断だったのかもしれない。

こんな場所での居眠りは、さすがにまずいなと思い、外に出ることにした。

外では、エベレストと他の山々(ただ単に名前を覚えていないだけ)が、そろそろ夕日の光を受けようとしている。それにしても、すごい場所である。8000mとかのかっこいい山達に囲まれている。こんな場所に、来れたこと、そしてこれからしばらくこんな景色を毎日見ることができるという幸せに感謝する。

さて、ロッジのストーブ周りで、暖をとったりしていると、いつの間にか夕食の時間になる。

そして、夕食が始まる前に、ゴンパから帰ってきたあの中国人カップルが私たちの前に座った。私たちが夕食を食べていると、それはこのメニューの何か聞いてきたりしたので、適当に答えたりしていた。

そして、彼らがなんだか、少々普通と違うことに気がついた。なんと彼らは、2人だけで、ここまで来てしまったようなのだ。ネパールでは、シェルパやポーターと一緒に歩くのが、一般的である。もちろんネパールに詳しい人や自信のある人は、シェルパ、ポーターなしで歩いていたりもする。

しかしながら、彼らは違った。まずゴアテックスらしきジャケットを着ているが、女の子はなんとジーンズで歩いている。彼は、彼女にジーンズは好ましくないことを伝えないのか、それともジーンズでいいと思っているのか。不明である。

そして、彼らは英語がほとんど通じない。

加えて、とんでもスケジュールを予定していたのだ。つまり、ここら辺のトレッキングに詳しくないということである。

彼らの予定では、ゴーキョからナムチェまでが1日の予定であった。しかしながら、その付近にいたシェルパみんなが、

「それは無理。」

と苦笑していた。

おまけに、話していると、なんだか非常にわけのわからないことを言っている。ポーターは、いないはずなのに、明日からポーターがいるとか言っているし、なんだかよくわからなくなってきた。
「シェルパ」って意味もわからないみたいだったし、なんだか頭がぐるぐるしてくる。

そして、デンディジーがやってきて、私たちのポーターたちが、今日彼らの荷物を運んだことを教えてくれた。加えて、彼らが私たちのポーターに明日から彼らのポーターになってほしいと交渉しているらしいことも教えてくれた。
おまけに、私たちのポーターたちは、どっちか1人がその中国人についた方がいいのかとデンディジーに相談をしていたということだ。

「ええええええ!!!」

彼らは、なんと私たちのポーターを横取りしようとしていたのか!

私は、ポーター2人が運ぶ荷物量を見て、2名にしてもらって本当によかったと思っていた。しかし、彼らにとって、あの程度の荷物は1人で運んでもいいくらいの量だったということだ・・・。なんて、すごい子たちなんだ。

それはおいておいて、彼らは私たちのポーターを明日から雇う予定でいるようであったので、それは無理であることを伝えなくてはならない。それに、彼らの知識、語学力、装備で、これ以上シェルパ―、ポーターなしで突き進むことが危険であることも伝えなくてはならない。

けどどうすればよいかわからない。

そうこうしている間に、デンディジーが、

「ロッジの人に頼めば、ポーターの手配をしてくれるから、ロッジの人に依頼した方がいい。」

と英語で中国人に伝えた。

しかしながら、彼らは何と言われたかわからない。

ということで、私が説明を始めたのであるが、通じないのだ・・・・・。それにしてもショックである。語学って、使わないと本当にきれいさっぱりなくなるんだ。って、かなりの衝撃を受けた。

おまけに、私たちのシェルパからは、

「山は自己責任の世界だから、もうこれ以上関わらない方がいい。」

とも言われる。

しかし、最後の力を振り絞り、怪しい中国語で説明していると、横から、

「あなたどこの国の人?」

って中国語で、質問された。

「日本人ですけど、なにか。」

みたいな感じで、エキサイトしていた私は答えてみた。

横のテーブルの女の子が楽しそうに、

「なんか中国語が聞こえたから~。」

って話しかけてきた。

どうやら、私が非常に苦労しながら、中国人2人に説明しているのを見かねて、話しかけてくれたみたいだった。

彼らは、中国系アメリカ人であった。

そこで、中国系アメリカ人の人たちに、「あの中国人たちは、シェルパもポーターもいないので、このロッジの人に頼んで、ポーターを雇った方がいい。今日、中国人を助けたポーターたちは、私たちのポーターだから、中国人は私たちのポーターを明日から使うことはできない。」と伝えてほしいとお願いした。

こんなレベルのことも通じない私の中国語っていったい・・・とかなり悲しくなる。

その女の子は、父親らしき人と一緒にいて、どうやら彼女自身もあんまり中国語は得意ではないらしく、父親らしき人も間に入ってくれた。そして、中国人カップルは、とうとう、シェルパもポーターもいない自分達の状況が、普通ではないこと、そして、ポーターを雇った方がいいことなどを悟ったらしい。中国系アメリカ人の2人も彼らが2人だけで、ここまで来ていることにびっくり仰天していた。

そして、とうとう、このロッジの人に明日からのポーターを手配するように依頼をした。
あとで、デンディジーから、ここのロッジの人が近くの村の人を手配したから、明日の朝には、あの中国人のポーターが到着すると教えてもらった。

そうなのだ。シェルパ人同士の情報網って、なんだかすごいのだ。

それにしても、ロッジとは、ポーター手配までしてくれることにも、びっくりする。そして、この時間(午後7時くらい)に手配して、明日の朝、もうポーターがここに到着するって。すごい手配力である。おまけに、そのポーターというのは、これからたぶん1週間とか10日ぐらいの旅になるはずなのに。そんなにすぐ来れちゃうの?って思う。今はオフシーズンのために、みんな仕事を待っているのだろうか?

それとデンディジー曰く、ロッジ経由の手配だと、ロッジの名誉にかけて、きちんとした人を雇ってくれるという。それなので、明日来てくれるポーターはある程度しっかりした人なのだろう。


なんとかって山。素敵♡




我らのデンディジーとアマダムラム



立派なゴンパ (お寺)






朝のお茶: 6:30
朝食: 7:00
出発: 8:00 Namche ( 3440 m )
到着: 14:30 Tengboche ( 3860m )
夕食: 18:00

泊った宿:Himalayan Tashidelek Guest house