バランコキャンプ(3976m)
カランガキャンプ(4033m)


とうとう2011年だ。

昨日の夜は夜中の12時までは普通だった。いつもと一緒。静かだった。

だが12時になったとたん。

どこからか
”ハッピーニューイヤー!”
”ハッピーニューイヤー”
うほうほ~
ってな感じで、騒ぎ始めた。

見に行きたい!という気になったが、この寒さのためトイレですらあまり行きたくないので、寝袋の中で、この一部始終を聞いていた。

なんとなく、ある程度の人数が集まって、騒いでいる感じだ。

なお、テントにもだんだん慣れてきて、寝方もうまくなってきた。

まず寒さ対策で、帽子と手袋が絶対にはずせない。私は手が意外と冷えるタイプだったらしく、手袋して寝るようになってから、かなりよく眠れるようになった。

それから母親がくれた銀色シート。あれが意外と暖かいのだ。おまけに広いので、Rちゃんと一緒にかぶっていた。

そして、あいつと一緒に買ったテスコの空気枕。これも意外と役に立ってくれた。

自宅で寝袋実験した時に、すぐ自分のベットに逃げて以来、テントで眠れるか心配であった。だがしかし、ぜんぜん心配無用。やはり私は、どこでも眠れる人だった。

朝起きると周りの様子にびっくりした。昨日は霧のため周りがよく見えていなかったが、実はキャンプサイトの前は絶壁だったのだ。

”おお!すごいー!”

とのんきに写真を撮っていたが、まさかこれから自分たちがここを登るとは思いもしなかった。

それともう一つ非常に驚くべきことが、あいつからハッピーニューイヤーとメールが入っていた。

あいつも人並のメッセージが遅れるようになったのかと少々感慨深い。

ちなみに、日本にいるあいつとはイギリスの携帯同士で連絡がとれていた。それなのに、日本の携帯には、イギリスの私の携帯からは連絡がとれない。

今日は、3時間程度の軽いハイキングだということ。そして、途中でのランチではなく、カランガキャンンプに到着してからのランチということだった。

今日はいつもよりゆっくりの出発だった。

そして、他のグループが出発するのを見ているとなんだかみんなあの絶壁の方面に向かい、登り初めている。

ひー。もしかして、私たちもあそこに行くのか。

私は、手の力が弱く、自分の体重を支えることができないのだ。

岩場は苦手なのだ。

だがしかし、ここは大丈夫だった。見た目ほど難しくないのだ。私ですら登れたので、普通の人ならもっと大丈夫だ。

ここがバランコウォールというところらしい。

ここを1時間強で登りきると、緩やかな下りが続いて、かなり楽になる。

そして聞いた話によると6日間のマチャメコースの場合は、なんとカランガキャンプに到着してからバラフに行き、その夜に頂上アタックということだった。

そんなことしたら、死んでしまう。

マチャメコース7日間をみんなが選択してくれたことに心から感謝する。

カランガに到着してから、ランチとなる。

ランチ後は、またフリスビー大会となる。初日に一緒にやったあのポーターがまだでてきて、一緒にやった。

あとウエイターであり、洗面器とお湯をいつも持ってきてくれるマイコも一緒にフリスビーをした。

最近私たち4人の中のアイドルマイコである。

マイコがくるたびに、みんなでマイコマイコとなんだか、うれしがる。

マイコは英語がほとんど通じないので、深い会話はまったくできない。

だから私たちの適当スワヒリ語でなんとかするしかないのだ。

私たちがマイコにもっとも発した言葉は、
”マイコマジモット”(マイコお湯ちょうだい)
であろう。

あとマイコが言う、
”カリブー”(どういたしまして、どうぞ)がなんとなく好きだ。

スワヒリ語は、発音しやすい。そして、私はなんだかカリブーというスワヒリ語が一番気に入ってしまった。

それからまだ時間があるので、エドワードが私たちを連れて、1時間程度の散歩に行くということだった。

いつも通りのゆっくり速度ではあるが、標高が結構いっているので、やっぱりなんだかしんどい。

人が苦しんで、登っているというのに、なんだかシャカシャカ音がする。

なんとエドワード音楽を聴いていた。

まあ、別にただの散歩だからいいんだけど。

ボブマレー?、セリーヌディオンとかと言っていた。

私たちが重い体を引きずりながら歩いているのに、好きな音楽を聴きながら歩く彼の足取りは軽かった。

この旅が始まり、頂上アタックはまだまだなんて思っていたが、なんだかもう明日に迫っていた。

多少緊張してきた。