数ヶ月前に友人らの登山に混ぜていただくことが決定、地味?に準備をしてきたが、とうとう出発の日となった。

毎年ではあるが、クリスマス前は何かと忙しくなり、今年も例外ではなく、なぜか怒涛の日々が続いていた。

そして、ジムにも行けず、本当にキリマンジャロなんて行ってしまっても大丈夫かと思うような状態で、一日を過ごすだけが精一杯の日々が続いていた。

なんとか24日にホリディ中の仕事を他人におしつけ、25日にあいつを日本へ送り出し、26日に真剣にパッキング作業を開始した。

本当は、ザック2個(1個チェックイン、1個手荷物用のデイバック)と勝手に思いこんでいたが、どうしても今回の荷物はザック2個には収まらない。

途方にくれていると、日本にいる友人Rちゃんより、スーツケースで行くという神の言葉のようなメールが届いた。

そうだ。今回は、ポーターもいて、かつ登山中の荷物はホテルで預かってくれるのだ。スーツケースで行ってもよいのだ。

そして、急慮スーツケースを広げてパッキングすることとなる。

現地の旅行会社から送られてきた持ち物リストに沿って、入れていく。

なんだか、でかいスーツケースがどんどん埋まり、挙句の果てには、閉まらなくなる。これでは、タンザニア国内制限の20kgsにひっかかることは間違いない。

スキー用ズボンを減らしたり、お菓子を減らしたり、なんだか身を削る思いで荷物を減らして、なんとか20kgsぐらいのスーツケース1個と手荷物に作り上げた。

この時点で、もう体力とかそういうことではなく、なんだかもう無事に出発して、現地に着くことがなんだか第一の目的になってしまっている。

27日当日。夜8時半出発のフライトのため、5時半にでようとしていたが、なんだかんだ遅くなり、6時ぐらいになってしまった。

まあ、何度も使っている駐車場なので、迷わず、私にしては比較的スムーズに、駐車場に車を止めて、空港までたどりつくことができた。

今回は初めてのターミナル4。ふと気づくとターミナル4に来たのは初めてだ。

ターミナル4はきれいだ。おまけになんだか、色が若干濃い目の案内人がうじゃうじゃ配置され、少しきょろきょろするだけで、大丈夫かと聞いてくる。
イギリスではないみたいだ。

そして、航空会社も今まで一度も乗ったことのないカタール航空だ。カタール航空は、よい評判を聞くことが多かったので、乗ってみたかったのだ。キリマンジャロ空港までは、エチオピア航空などを利用すれば、実はダイレクトで入れるのであるが、さすがにエチオピア航空には、あまり乗りたくない。あとエチオピア経由でくるときは、黄熱病の予防接種まで必要なのだ。

話はそれるか、アフリカと聞き、ビザも取りに行き、かつ予防接種もしなくてはいけないのかと覚悟を決めたことは決めたのであったが、実はタンザニアの場合、それは必要なかったというか別になんとかなったのだった。

まずビザは到着空港で、その場で50ドルさえ支払いをすれば、ビザは出してくれる国だった。

そして、黄熱病の予防接種もケニア、エチオピアなどでは、絶対に必要なのだが、タンザニアに直接入るのであれば、なんと必要なかったのだ。

ということで、ヨーロッパ登山と同様ぐらいに、この登山に向けての準備は、予想していたよりもかなり簡単となったのだ。

カタール航空は、機体は新しくて、きれい、すっちーもまあまあ、機内食は結構おいしかった。

だがしかし、シンガポール航空で味わせていたけるようなあのレベルの幸福感まではぜんぜん足りない感じだ。

ロンドン、ドーハ間は、1人1人にテレビがついており、自分の好きに遊ぶことができる。

日本語映画があったので、見てみると踊る走査線に、悪人の写真が使用されている。まあ深津絵里がかぶっているので、しょうがないとしてあげよう。

日本であれば、絶対に見る機会もなかったであろう踊る走査線を見て、結構楽しむ。

ディナー(といってもエコノミーの機内食・・・。)クラブケーキと白ワインにしてみた。前菜のオリーブとパスタがかなりおいしい。ワインと前菜で、一人でいい気分になっていた。

ワインの力で、いい気分となり、ドーハまで、爆睡。快適な空の旅であった。

そして、ドーハにて、友人Rちゃんとの数年後ぶりの再会だ。

12時近くに到着した夜中のドーハ空港は、なんだか人だらけだった。ドーハ空港は現在改装工事中のため、バスでものすごい遠回りをさせられる。

そして、乗り継ぎのためのセキュリティのところに、人がうじゃうじゃいる。私は乗り継ぎ時間が1時間くらいしかないのに、FAST LANEに入れてくれない。この夜の人の渦の中で、なんだか非常に不安になる。

かつ乗り継ぎが1時間しかなく、荷物が無事ダルエスサラームまでの飛行機に転送されるのか。これもかなり危険なのではないだろうか。

行きで荷物がこなかったら、もうアウトである。この荷物たちがないと登山に出発することはできない。

もう、運を天に任せた気分で、自分の体が次の飛行機にのるべく、ひたすらセキュリティチェックを待つ。

なんとかチェックを終えて、きょろきょろしてみると、Rちゃんが私のことを見つけてくれた!

おお感動の再会だ。
これからは、Rちゃんと一緒にタンザニアに向かうことができる。

だがしかし、事前に得に何の打ち合わせもしなかったため、席は別々。同じ飛行機、離れた席で、ダルエスサラームへと向かうのだ。

私は、もうこの段階で、ものすごい眠り病にかかっており、このドーハ、ダルエスサラーム間は、ほとんど記憶がない。

けれどもふと目が覚めたときに一瞬だけ、なんだか砂漠みたいな茶色の大地を見たような気がする。

夢だったかもしれないが、今まで見たことのない景色だった。
けれども、ものすごい眠り病に冒され、また心地よい眠りへと吸い込まれていった。

今思えば、あの今までみなことのない景色も上空から堪能したかった。

非常に心地よい大爆睡の後、とうとうタンザニアの空港(ダルエスサラーム)へ到着だ。

到着するとさすがになんだか、蒸し暑い。そりゃそうだ。夏だもの。
そして、素敵なことに空港にクーラーらしきものがない。
いや。正確に言うと、日本の25年くらい前のクーラーはあるが、この暑さをなんとかするくらいまでの機能を持ち合わせていないということだ。

みんなこの蒸し暑い小さな部屋で、VISA申請書を書かせられている。私とRちゃんもVISA申請書を書き、係員らしき、おねーちゃんにパスポート、申請用紙、50USDを渡す。

そのやり方がなんともいい加減なのだ。きちんと順番通りにしてくれていない感じだ。

だがしかし、自分の名前が呼ばれるまで、ひたすら待たなくてはいけない。
そして、ビザがちゃんとパスポート上にあるかとか、自分のパスポートであるかとか、ちゃんと確認しないと違う人のパスポートとかが平気で返ってきそうな雰囲気である。

私の名前が呼ばれたのに、なんだか他の人も返事をしている。

いやいや。これは私の名前だよ。あんたの名前は、違うはず。心の中でそう思いながら、その人が係員に”あんたのじゃないよ”といわれるのを待つ。

パスポートに入国印はおされていたが、ビザはない。ただ50USD払ったと書いてあった。

そうか、50ドル払うことが一番大切なことなのね。

そして、なんだかイミグレの質問も何もなく、バゲッジクレイムについてしまった。ようするに、50ドル払えば、通してくれる国ということらしい。

さすがにタンザニアに入ったあたりから、初アフリカということで、虫、蚊とか、あとひったくりなど盗難系に関しての緊張度が高まる。

ちょっとでもなんだか話しかけてくる空港の外の黒い人たちが怖い。

今度は国内線のチェックインをして、プリシジョン航空のフライトを待つ。
なんとなく、ものすごい小さい、プロペラが何機かある。

やはりこんな感じねと思っているとRちゃんが前にネパールに行った時の12人ぐらいのりの飛行機が落ちたんだよねとか話してくれた。うーん。ありがとう。

ランチがまだであったので、待合室あたりをうろうろするが、食べたいと思えるものが何もない。
なんだかパイかパンのできそこないみたいなのと、飲んだらすごいことになりそうな生ジュースがくるくる回っている。そして、虫を見るたびに、ひいーと虫を避ける。

仕方がない。私たちには、まだWEB上で仕入れた知識程度しかないのだから。

2時間くらいして、ようやくフライトの時間になった。予想通りのかわいらしいプロペラ機で、ダルエスサラームからキリマンジャロ空港までのフライトだ。

フライトアテンダントのおにーさんがものすごく優しい。こういう、心からの暖かさってすごいなって、久しぶりに思った。イギリスは、他人に対しやさしくしようなんて、気配もかけらもない。日本人は、表面的。なんだかこのおにーさんの優しさには表も裏もないような気がした。

小さい機体のわりにフライトは順調かつ、私はやはりまだ眠り病にかかり、みんながキリマンジャロだ!わー!としている間もなんだか眠りこけていた。

それから、機内ででてきたカシューナッツ!肉厚で、巨大で、最高においしい。Rちゃんは、ナッツの大量摂取にいい経験がないらしく、躊躇していたが、もともとナッツ好きな私は、どうしても止めることができず、あっという間に完食してしまった。お土産に買わなくては。

キリマンジャロ空港に到着すると現地の旅行会社の方が迎えにきてくれる予定だ。

こういう初めての国の場合、このようなお迎えは本当に本当にありがたい。

この旅行会社は、タンザニア人と結婚された日本人の方がご夫婦で経営されていらっしゃるようだ。

外に出ると早速その方々とお会いすることができた。
なんだか勝手に想像していたそのままのご夫婦であった。
だんな様は、もう本当に心の底から優しそうな感じであり、奥様の方は知的でかつ品がある優しさを備えた方であった。

ホテルまでの車中にて、すでにいろんなことを教わった。

私は、非常に恥ずかしいのだが、キリマンジャロ登山にしか興味がなかったので、タンザニアがどのような国なのか等の知識はまったくなかったのだ。

まずタンザニアは、ドイツーイギリスの植民地だったらしい。確かに受験の時に、線で区切られたアフリカがどこに占領されていたか記憶した記憶はある。
だがこう断片的に、いわれてもわからない。あきれるほどテスト対策しかしていなかったんだ。

それとキリマンジャロと聞いて、思い浮かべるのは山以外には、コーヒー。だがしかし、コーヒーは、ほぼ海外に輸出されているという。外国資本のプランテーションで生産され、よいものは海外へと輸出され、国内にはよいものは残らないらしい。
そして、ここらへんの人たちのコーヒーはインスタントだという。

車で走っているとバナナの木がよく見えた。バナナは主食だという。そして、日本よりもたくさんの種類があるという。

バナナの木が自宅にあればとりあえず飢え死にはしないとのこと。バナナの木は非常に回転が早いそうだ。

私は、車の中からの景色でなんとなく、自分がマレーシアあたりにいる錯覚を感じた。自分が知っている国の中で、昔のマレーシアがここと一番近い感じがした。

ホテルに到着すると、今日サファリに行っているKさん、Yさんがまだ戻ってきていないという。彼女らが帰ってきてから、登山のブリーフィングを行うという。そして、それにはガイドの方も来てくださるという。

部屋で荷物整理をしていると、2人が戻ってきて部屋まで来てくれた。初めてRちゃんの知り合いであるKさん、そしてYさんと会うことができた。なんだかこんな方々と一緒に登山ができるなんて!なんだかとても幸せな気分になってきた。

ブリーフィングで、ガイドの方とも会うことができた。
とても安心感のある方だった。そして、英語が普通に上手だ。たぶん私なんかよりずっと上手だ。

はずかしながら、質問できるほどこの登山を理解していなかったので、このときはひたすら聞いているだけだった。

登山の秘訣3条を教えてくれたのだが、記憶が曖昧だ。
たしか、ご飯を食べる。リラックスをする。水を飲む
だったような気がする。
(誰か覚えていたら、教えてください・・・。)