江戸時代と言われる葵の御紋の袱紗をヤフオクで購入しました。

江戸時代には葵の御紋は勝手には使えないはずなのでどういう事なのか?

 

そして、葵の御紋だけでなく島津家の家紋が入っているんです。葵の御紋を取り囲んで(御守りして?)4つもです。

 

 

 

 

東京博物館で開催されている大奥展を見てきました。

面白かったのは篤姫の輿入れに使われた装身具等を入れて運ぶ挟箱を覆うカバーです。

徳川家が用意したようですが、葵の御紋と並べて近衛家の家紋が入っています。

合わせて吉祥紋様が入っています。購入した袱紗は亀甲紋様ですが、とても似た技法、デザインです。

 

 

 

篤姫は島津家の分家から本家の島津斉彬の養女になり、その後に五摂家筆頭の近衛家の養女から徳川家定に輿入れしています。

篤姫の時代は江戸時代の終焉を迎えて、徳川家はいろいろと政治的な配慮が必要だったんでしょうね。

 

篤姫の時代は尊王攘夷や薩長連合の時代で徳川家は多難な時代でしたね。

島津家との関係も気遣いの多い事と思います。葵の御紋の中にも島津家家紋を入れて袱紗として使ったのでしょうか?

それとも、尊王攘夷で水戸徳川家あたりが島津家と親交があったのでしょうか。

 

とは言っても、徳川一門の袱紗とするには品格不足のように思います。

島津家の家紋もアップリケを後から縫い付けているように見えるのです?

 

もっとも、こんな夢や想像はTV番組『何でも鑑定団』風で、骨董の楽しみと思いました。

 

ジョン カベン