TBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」が放送されていますが、その舞台の長崎の軍艦島(端島)が注目されています。
ドラマは石炭採掘が盛んだった1950年代の端島と現在の東京を結んで展開され、アメリカ映画の「タイタニック」を思わせる展開をみせています。
ドラマがヒットし軍艦島上陸ツアーが大人気となっています。端島では良質の石炭(黒いダイヤ)が採れたので明治、大正、昭和と大いに栄えましたが、次第に衰退し今から50年前に無人島となりました。
そして軍艦島は2015年に世界遺産に登録されました。名前の由来は島の形が軍艦に似ているからです。長崎港から上陸ツアー専用の船が出ており、約40分かかります。
江戸時代に発見された時は自然の岩礁があるだけでしたが、三菱により6回の埋め立てが繰り返され、最終的には元の岩礁の3倍の広さになりました。
3年前に上陸した時の写真ですが、黒線で囲った部分が最初の岩礁だと思います。その上に貯水槽(左)と幹部職員社宅(右)が建っています。その真下の埋め立て地で我々は説明と受けました(赤い囲み)。
1973年、閉山1年前の様子ですが、アパートや学校、病院および炭鉱関連施設でびっしりです。生活の全てが凝縮された海上都市で、ゆっくりと進む軍艦の様にも見えます。
1974年に無人島になってから今年で50年、炭鉱関連施設は崩壊が進んでいますが(写真上)、小中学校、アパートや病院のビルの骨組みはまだ残っています(写真下)。
最盛期の1960年の人口は5300人で人口密度は世界一でした。右の写真は1916年建造の日本最古の鉄筋の高層アパートですが、現在はこの写真の時より更に崩壊が進んでいます。
端島銀座は島一番の目抜き通りで、ここに主人公の鉄平(神木隆之介)に恋する朝子(杉咲花)の食堂がありました。島民は危険な仕事と引き換えに高い給料を得て豊かな生活を送っており、給料日を狙って長崎から商人たちが島に来ていたそうです。
7階建ての小中合同校舎が建ち、最盛期には生徒1200人がおり子供たちは近代的な校舎で学びました。また狭い島でしたが、工夫をこらして野球をはじめ様々な遊びに興じたそうです。
山神祭りや夏祭りも盛大に行われ、ドラマでも歌われた「端島音頭」に合わせた盆踊りで盛り上がりました。また花火も学校のグランドから打ち上げられました(テレビの1場面)。
屋上農園造りがドラマでも再現されました。狭い島で土がありませんでしたが、島の皆が協力して日本で最初の屋上緑化が行われました。右下には端島神社跡があり祠だけが残っています。
3年前に上陸した時の写真ですが、上の写真は長崎半島側から見たもので、主に炭鉱関連施設があり、下の写真は海側から見たもので高層アパートがびっしりと立っています。
海側にアパートが建っているのは台風の時に反対側の炭鉱施設を守るためで、台風以外のしけの時でも簡単に高層アパートを超えて大波が押し寄せたそうです。
台風の場面はドラマの中でも描かれていましたが、そんな時は給水船が運航できず水道の無い島は大混乱でした。そこで1957年に長崎半島の岳路から6500mの海底水道が通り生活が改善しました。この写真はその岳路海岸に残る水道管遺構です。
端島は「黒いダイヤモンド」と呼ばれた日本一良質な石炭によって日本の産業を支え、豊かな生活を送っていました。しかし事故の発生や石油への転換などの為に斜陽化して行きました。
1890年、三菱が買い取り本格的に採掘と埋め立てを行い、84年後に廃鉱(無人島)になりました。その後50年が経過しましたが、軍艦島は海上にあるため台風や高潮、さらに塩害により劣化が進んでいます。遠い将来には元の岩礁に戻る運命にあるのでしょうが、風化を遅らせるために出来る限りの事をして、世界でもめずらしいとされる産業遺構の世界遺産が少しでも長く残る事を祈ります。ドラマがどういう風に展開されるのか楽しみです。

















