「海に眠るダイヤモンド」の放送が終わってしまい、非常に淋しく思っている人も多いと思います。そこで、私が今までに半島側から撮った軍艦島の写真の一部を紹介させて下さい。
これはドラマの最後の方で、怜央といずみ(朝子)が廃墟となった現在の軍艦島(世界遺産)を長崎半島の方から眺めて居るシーンです。
軍艦島(端島)は長崎半島の西側に位置する小さな島で、半島のほとんどの場所から見る事ができます。今回は①から⑤の5か所から撮影した私の思い出の写真を紹介します。
①は半島の先端にある野母崎の「水仙の丘」からの写真で、1月に行われた「のもざき水仙まつり」の時に撮りました。
近くには恐竜博物館もあり、ここからも軍艦島を見る事ができます(左下の窓の向こうに小さく島が見えています)。
直ぐ近くに南越のバス停があり、ここでは役所広司さんが出演・監督した長崎バスのCMが撮影されましたが、後方には軍艦島がしっかり入っていました。

②の高浜海水浴場から眺めたもので、軍艦島ツアーの白い船が数隻浮かんでいます。ここからが最も島に近く、島の様子が良く分かります。
①が日本最初の高層鉄筋コンクリートアパート、②貯水槽、③幹部社宅、④端島神社の祠、⑤端島小中学校です。
海岸に突き出た場所から叫んで、声が軍艦島に届くような気がする写真です。
夕日が島の中心部に沈んで行くと、幹部社宅の窓から夕日が透けて見える所もあります。
③4億8千万年前の岩から出来ている夫婦岩。その向こうには軍艦島が見えています。
夕日が沈んだ後の夕焼けが鮮やかでした。
夫婦岩よりやや高い所から五島灘に沈む夕日を眺めた所です。夕日の道が軍艦島中央を通って繋がっています。
夕日が五島列島の方に沈んで行き、弱くなった夕日の道は通りかかった漁船にかかっています。
④岳路には緑がかった砂浜があり、1957年にこの海岸からか海底トンネルがつながり、軍艦島で水道が使えるようになりました。その遺構がまだ少し残っています。
ここには、いつ行っても釣り人がいます。この人は軍艦島を釣っているようにも見えますが、ここから6500mも離れています(海底水道の長さが6500mでした)。
⑤善長谷教会からの眺めで、遠藤周作をはじめ多くの作品の中に登場する景色です。正面奥に小さく見えるのが軍艦島と中ノ島、その右側に細く見えるのが高島、左の奥が野母崎です。
雲の間から漏れた光芒、いわゆる「天使のはしご」と呼ばれる光線がスポットライトの様に軍艦島に降り注いでいます。
拡大すると、軍艦島だけにスポットライトが当たり、右側の中ノ島(火葬場や墓があった)と、その奥の三ツ瀬(最後はこの近くまで坑道が掘り進まれた)にはライトが当たっていません。
最後の1枚は①の野母崎の水仙の丘にある「しあわせの鐘」と共に撮影し、軍艦島が出来るだけ長く世界遺産として残り、みなさんに語り継がれる事を祈ります。
実際の軍艦島は1964年に爆発事故で休止、翌年に三ツ瀬区域にある新しい鉱脈に到達して再開しました。しかしながら、三ツ瀬区域も10年しか続かず、今から50年前の1974年に閉鉱となり現在に至っています。ドラマでは再開後の1965年に鉄平が婚約者の朝子の前から突然消えてしまいます。そして朝子(いずみ)が老人となった60年後の現在、その理由が明らかになって行く展開でした。最終的には時空を超えて、60年前の軍艦島で待っている朝子の元に鉄平が帰って結婚を申し込むという感動のラストシーンが用意されていました。世界遺産の歴史の中に時空を超えたロマンを入れ込んだ素晴らしい作品だと思いました。久々に感動しました。

















