長崎街道・⑫小田宿から⑬牛津宿へ | 長崎回縁隊のブログ

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ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

牛津は物流で栄えた町で、牛津駅の構内には町の特徴を表す標語が書かれています。

 

今回は⑫小田宿から⑬牛津宿を目指します。

 

小田宿を出て直進すると、長崎街道と分かれ、右に曲がる浜道との追分(分岐点)があり、そこには恵比寿像(○で囲む)が置かれていました。浜道は多良海道につながり、佐賀の殿様が大村藩などの他藩を通らずに長崎へ行けるようにした道とのこと。

数百年間、風雨に耐えながら追分の目印となり旅人の無事を祈ってきた恵比寿像。牛津は商業の町として栄えたので、商売繁盛の神様がそこかしこに祀られています。

 

長崎街道の一部は国道34号と重なっていますが、ここから再び右に折れ、細い街道となり牛津宿に向かいます。国道の左手にカンカン石が置かれていました。

 

大きな石を横にある小さな石で叩くと「カーンカーン」と高い金属音がします。鳴石(サヌカイト)という珍しい石で長崎街道の名物の1つと伝えられています。

江戸時代、ここを通った人々が叩いて凹んだと思われる跡(➡)に触れ、「カーンカーン」と音を鳴らしみると私も旅人気分になりました。

 

細い街道を進んで行くと、街道沿いに「宿場ようかん」ののぼりがあり、名物・小城羊羹が売られていました。

手練りの羊羹は外はやや硬く、中はしっとりと柔らかく懐かしい素朴な味で、シュガロードにぴったりの味でした。3本も買ってしまいました。

 

さらに行くと、寺町に入り左手に永福寺があり、1553年作の六地蔵尊、1736年作の地蔵菩薩半跏座像が安座されていました。

 

地蔵菩薩半跏座像は名工と言われた平川与四右衛門の作で、彼が残した石仏のうち、その銘文が残されている40体余りの中の一つです。

 

進んで行くと砥川小学校近くにウォーキングマップがありました。この辺りの砥川谷村には有名な石工集団がいて、佐賀、長崎、熊本に搬出しており、牛津は「石工の里」でもありました。

 

前の道を山の方に進んで行くと、平川与四右衛門の秀作、千手観音菩薩像があります。彼の作品は長崎の霊厳院(滝の観音)、晧台寺、福済時、多良岳山頂の多良岳神社などでも見る事ができます。

小田宿を出て牛津宿に向かいましたが、佐賀の殿様道の追分(分岐点)の恵比寿像、カンカン石、宿場ようかん、更には石工の里などを見に寄り道したので、宿場にはたどり着けませんでした。よって西の浪花と言われた商都・牛津の町については次回に致します。