祈りの町・長崎(1)悟真寺と稲佐国際墓地 | 長崎回縁隊のブログ

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ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

ここは「祈りの三角ゾーン」と呼ばれ、神社と教会とお寺がすぐ近くにあり、長崎ならではの場所といえます。この様に長崎には様々な形の祈りの場所が多くあります。

 

まずは長崎に最初にできたお寺、悟真寺を訪ねました。1598年に開創されましたが、この山門を除いて全て原爆で焼失しました。山門は幕末に建てられたのが、そのまま残りました。

当時の長崎の中心は「小ローマ」と呼ばれるほど教会とキリシタンばかりだったので、中国人たちは対岸の稲佐の地に住み、ここに菩提寺を造りました。

 

その後、幕府がキリシタン禁止令を出した為に、長崎中心部の教会は破壊されました。そして興福寺などの唐三か寺が創建され、中国人たちも町の中心部に移りました。

 

悟真寺の墓地は最初は中国人のための唐人墓地でしたが、その後は稲佐国際墓地となり、オランダ人、ロシア人などの墓地も造られました。入口からは稲佐山のテレビ塔が望めます。

 

橋を渡るとすぐに見えるのが中国人の為の墓です。日本人の墓とは全く異なります。

 

長崎は坂の町ですが、お墓は更に高い所にあるので登るのは大変です。

 

しかし登ってしまえば、美しい港町の風景が広がっています。この日も対岸の松ケ枝国際ターミナルにはクルーズ船が停泊していました。

 

墓地の一画にはオランダ人の眠る墓地があります。幕府の鎖国政策により、オランダ人は出島に隔離され、ここを墓地として割り当てられました。

 

日本人とも中国人とも異なる墓の形です。中には出島のオランダ商館長デュルコープの墓がありますが、この墓石は日本に現存する最古の西洋人の墓です。

 

また別の一画にはロシア人墓地があり、ロシア正教の白いチャペルが建っています。幕末のロシア艦隊の入港を機に稲佐とロシアの繋がりが生まれ、ロシア人墓地が開設されました

1991年、ゴルバチョフ ソ連大統領もここを訪れました。この様に長崎には国籍の区別なく、大事なものは守って行こうと言う文化があり、こうした様々な国の人が眠る国際墓地が大切に残されています。