いよいよ大村藩から佐賀藩に入り、嬉野温泉を目指します。
大村湾を望む⑥彼杵宿を後にして,海抜200m近くの俵坂峠を越え佐賀藩へと足を踏み入れます。峠に佐賀藩関所跡があり、ここを越えてしばらく行くと⑦嬉野宿に着きます。
長崎街道は現在の嬉野温泉街の大正屋旅館から和多屋別荘の前を通っており、この間550mが宿場町で30軒の旅籠がありました。大正屋の前に西構口(かまえぐち)跡があります。
東構口(町木戸)は和多屋別荘の前にありますが、近くに細い旧長崎街道が昔のままの幅で残っており、当時の雰囲気がうかがえます。
宿場の中心には上使屋(御茶屋)と藩営の浴場がありました。現在は公衆浴場「シーボルトの湯」として親しまれています。これは裏側から撮ったもので塩田川が流れています。
この名前がつけられたのはシーボールトが1828年の江戸参府紀行の中に「温泉成分、湯屋の様子、川に生息する魚」まで詳しく述べているからです。当時の藩湯を絵として残しています。
シーボルト著「日本」よりお借りしました。裏側から見た浴場で、川と湯煙も描かれています。
浴場の裏側にある緑豊かな嬉野温泉公園からの眺めもいいものです。塩田川や浴場、井手酒造、大村屋旅館などが見ながら、のんびり過ごせます。
浴場から北へ行くと、長崎奉行や大名が宿泊する本陣とされた瑞光寺があります。鎌倉時代創建の名刹で樹齢840年のクスノキや運慶作と伝承される木造薬師如来像が有名です。
嬉野は佐賀藩の支藩・蓮池藩の領地でしたが、佐賀藩との間で境界争いが起こりました。そこで境界には2,000個の(20mごとに1個)藩境石を置いていました。この石には百四十四と彫られています。
嬉野の名物の1つが湯豆腐です。温泉の湯で煮るので、お汁が牛乳の様になります。嬉野は日本3大美肌の湯の1つですから、内と外からお肌を潤せます。
嬉野と言えば温泉の他にお茶でも有名で、そのルーツは15世紀にさかのぼるとされています。運がよければ美肌の茶摘み美人に会える事もあります。
最後に大村屋旅館特製の美味しい抹茶プリンを温泉公園で頂きました。大村屋旅館は藩営浴場のすぐ前にあり、日本地図の伊能忠敬が本陣を置いて逗留しました。
嬉しいお知らせを1つさせて下さい。「長崎くんち2018」を10月11日のブログにアップした所、評判が良かったので、下の写真を「長崎新聞・くんちフォトコンテスト」に応募しました。するとビギナーズラックでしょうか銅賞を頂きました。皆さんの応援のお蔭だと思います。これからもよろしくお願いします。 題「よし、一網打尽だ」












