昨日、旦那と午前3時まで話をしていて気づいたこと。
私は日本語に対して細かく少しの間違いも見逃せないし聞き逃せないこと。(自分の知識の範囲の話ですが…自己中心的ですみません)
たとえば、状況や気持ちを表す単語・接続詞・謙譲語・尊敬語・丁寧語などなど
旦那は日本語を使ってうまく気持ちを伝えられないこと。これは知っていたけど改めて出来ないんだなと強く思った。
たとえば、インフルエンザの予防接種を受けようと思っていて、平日は仕事で忙しいので行けない。だから土曜の午前中だけやってるクリニックなどじゃないと難しい。でも昨日の土曜は「忘れていた」と。これ、ちょっとずつ紐解いていくと「予防接種のことを忘れたわけではないが仕事で疲れていたし、職場で風邪をひいてる人がいて移され体調不良だったからまずは体力回復(風邪が治るという意味で使っている)しないと予防接種は出来ない」ということだった。
「忘れていた」の一言からそんなことを読み取るのは、私には無理。
そして
私は私が嫌いだということ。
旦那は自分のことが好きだということ。
旦那に「発達障害じゃなく、いわゆる普通の人、健常者として生まれたかった?」と聞いたら「そうは思わない」と。
「空気を読む能力は欲しいけど、それを手に入れたことで自分が自分でなくなるのなら、このままでいい」と。
発達障害のお子さんを育てている親御さんなら嬉しい言葉だろうなと思った。
「(特性の一つである)過集中もうまく使えば仕事でも活かせるし、悪いことばかりではない」と。
たしかに悪いことばかりではない。その過集中で何かをやり遂げることもある。
しかし過集中している時の気持ちの切り替えが難しく、話しかけようもんなら鬼の形相で私を見てとても機嫌が悪くなるので過集中が終わるのをひたすら待つしかない。過集中が終われば「さっきはごめん」と謝ったりするが、何度経験しても気持ちのいいものではない。
そして「過集中もうまく使えば」と言ったが、コントロールなんて出来てないじゃん。「よーし、今から過集中になるぞ!」と言って過集中になるわけじゃないでしょ。止められないでしょ。
こういう日本語の使い方が気になる。
こういうこと一個一個が気になりイライラする自分が大嫌い。
私は私が大嫌い。
自分のことを肯定する材料なんて何もないなと思う。