エロスの表現とモラルと。
路上・公園で全裸撮影、篠山紀信事務所を捜索
ホリエンモンがレコメンしたことで有名な原紗央莉クンがモデルをつとめた「NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO」で
篠山先生がピンチだそうです。
NO NUDE といいつつ、ゲリラで野外露出を敢行したことが原因らしいのですが、
これくらい多めに見たらいいのにと思います。
撮影に使用された式場もやいのやいの言っているようですが
むしろ名誉な事くらいみ思う懐の深さが欲しいものです。
割と最近アラーキーもイギリスで、
イタリアBisazza 社の広告で差し止めをくらっていましたね。
◆アラーキーが撮影した緊縛芸者広告がイギリスで禁止に
で、表現者をとりまく人間たちは一部の自分の価値観を絶対だと信じ、
正義感を振りかざす輩のために、
「これは、芸術表現なので、性的倒錯ではない!」
つまり、アートはけっしてエロじゃないと。
言わなければいけないのですね。
そもそも、アート愛好家というもの自体が
「ノゾキ趣味」のようであって、
ライク ア マーシーだと思うんですよ。
普段は隠している
人の心のヒダや深部を見て、感じて、悦に入るところが。
でも、そこには利害関係があって、
イメージクラブよろしく、お約束なんですよ。
なんでかと言えば、隠しているものを見るのではなく
「私を見て!」とおっぴろげているものを見るからなんですね。
その、おっぴろげた人間性の中に
崇高で綺麗な世界しかないというのはどうなんでしょうか?
ドロドロと渦巻いていて、異臭を放っていて、苦みばしっていて、
そんなところに共感しつつ、どこかいとおしく感じてしまうのが
本当の姿なのではないかと思います。
あなたも、そう思うのではないでしょうか?
なので、
芸術はノットエロスでもなく、
芸術イコールエロスでもなく、
芸術はエロスも内包しているというのが本当なのではないかな。
だって、芸術は裸の人間性なのだから。
なので、そういったものを批判する人は
自らの暗部と向き合っていないように思えて仕方がない。
そんな、僕は
先日ブックマークしてあったスク水・競泳水着のサイトを
嫁に見つかり、
嫁が本気で落ち込んだので喧嘩になり、
ショックを受けました。
スクール水着が嫌いな訳ではないが、
倒錯しているわけでもないし、
むしろ、倒錯している人間のそういう所を見るのが
好きなんだけどなあ。。。