最近はちょっと聞かれなくなったが、
一時の「勝ち組・負け組」ブームは凄かった。
女性の場合、結婚して子供がいれば勝ち。
結婚もしてなければ(当然子供もいない)負け。
(男性の場合は一定以上の収入があれば勝ち?)
そんなあほな~
そしたら、世の中のオカンはみんな幸せ?
社会的成功者は幸せってこと?
とんでもない。
それは不安を感じる要素が、独身と既婚者じゃ違うだけで、
それで勝った負けたの話じゃない。
子供がいる不幸な主婦なんて山ほどいるよ。
不幸なお金持ちもいっぱいいる。
それにそしたら私なんて、勝ってるのか負けているのかわからない(笑)
いろいろ持ってても、それで勝ってるとも思わん。
先日読んだ、知り合いの"茶飲み友達"学者の本に、
人間の偉大さは、(または宗教の偉大さは)、
さまざまなどうしようもない障害がある「にもかかわらず」、
生きてゆこうとする意思の瞬間にあると。
偉大な宗教がその偉大さを発揮するのは、障害がなくなる「から」、
苦悩がなくなる「から」、ではないのです。
障害や苦悩がある「にもかかわらず」、
人が勇気を持って顔を上げ、
障害に向かって真正面から前進する瞬間に、
偉大な宗教はその力を発揮するのです。
この思考は今流行りの「自己啓発系」の安直で軽薄なプラス思考とは真逆の価値観だ。
そして勝ちか負けなんて、単純な置かれている環境とは関係ない。
世間でもてはやされている「成功者」や「成功術」ともまったく無縁だ。
ブログでも「成功する方法」の類がよくあるが、
幸せ=金 という図式はあまりに浅ましく愚鈍で、
鼻でせせら笑ってしまう。
人間はむしろ「清貧」であるほうが、
清らかな心を保てるような気がするのは私だけだろうか?
「貪欲」は何より恥ずべき心根だ。
だからむしろ、成功してしまった者の方が真理を見失い、
不幸に陥っていくのはよく見かける光景。
女性の場合は先の見えない独身というのは不安なのはよくわかる。
孤独死だけは避けたいしね(笑)
女性は「愛されて」こそ、力を発揮できる生き物。
だから、独りでいることは男性よりも苦手なのかもしれない。
それに人生にパートナーが欲しいというのは理屈じゃなく本能だとも思うし。
けど、独りでいる「にもかかわらず」、
強く生きていこうとする意思の瞬間にこそ、
本当の幸せがあるのならば、
それは大いに受け止めるべき現実なのだなと思う。
フランスの文豪、アレクサンドル・デュマの岩窟王の中に、
智慧の鉱脈を掘り当てるためには、
どうしても苦難というものが必要らしい。(趣意)
「にもかかわらず」という、強い意志こそが、
私たちを真の自由へと解き放ってくれるものだと信じ、
つまらぬ風潮に左右されない自分でいたい。