TOKYO、というところ
先週、東京へお出かけしてきました。
祝日の新神戸駅のホーム、よく晴れた青い空に、六甲山の緑…まだ日差しはそんなに強くはないけれど、確実に柔らかな春の気配を感じながら乗り込んだ新幹線。
…一体、何度目なんだろう。
記憶のかなたにある、子供の頃は別にして、物心ついてから…あれは、高校生くらいの頃から今まで何度こうして新幹線に乗って東京を目指してきたのだろうか、とふと思いました。
愛読していた「Olive」の中の東京に憧れていた高校生の頃、一緒に進学するものと思っていた友人の、地元から遠く離れた自由が丘のマンションによく遊びに行った大学生の頃…何度か通ううち、子供の頃から暮らしなれた神戸では味わえない、街のスケールや聞きなれないアクセントで話す人たちを好もしく思うようになっていました。
そんな楽しい思い出に、ほろ苦さが加わったのは就職活動の頃。自分を奮い立たせるように、勝負をいどんでいるような気持ちで挑戦した在京の会社。結果、いい返事をもらうことができなかった時、私は初めてあの大きな街に飲まれてしまったような、何ともいえない敗北感を味わったのです。
東京への就職を決めた大親友に会うために通っていた時は、20代前半の自分の居場所をあっちこっちに頭をぶつけながら探していた私にとっても刺激を与えてもらう貴重な機会になっていました。バリバリと働き、行くたびにどんどん街になじんで強くなっていく彼女に会うといつも「もっと頑張ろう」という気持ちになれた…あんな大都会で一人で頑張っている彼女を想うと、自分の弱気や不安はなんとも甘えた子供のようで恥ずかしくなったり…。
側から離れたくない、と思った人が東京に行ってしまったこともありました。
彼と会うために何度も新幹線に揺られて、新神戸との間を往復…上りの車中でガラスに映った、あまりにも険しい表情に驚いたり、最終の下りのシートで窓に向かって目頭を押さえたり…今思えば、あまり楽しい記憶ばかりではなかったあの頃の東京…。
その後、何故だか私と縁のある人はみんな東京に行ってしまいました。昔からの仲間も、新しく出会った人も…いつも「東京」はその存在感を意識せざるを得ないほど私の身近にありながら、手の届かない場所で…私は一人、置いてきぼりをくらった子供みたいに外から指を加えて見ていました。
しかし彼と出会い、結婚することになったのは「東京」がきっかけ…彼が東京のプロジェクトに配属されて、遠距離になることがそれまでそんな話は爪の先ほども出ていなかった私たちの背中を押してくれたのかもしれない…。
車窓を通り過ぎていく景色を眺めながら、ふとそんなことを考えました。
そして、今、やっぱり私は大切な人を取られているような有様なのかもしれないけれど…でも、気がつくとかつて感じたような複雑な気持ちを抱くことはなくなっていることに驚きました。私のところに東京から帰って来てくれる人がいること…そのことがこんなに穏やかな気持ちにさせてくれているのでしょうか…。
やっと東京、というところが私にとって自分を探しに行ける特別な場所だったのだろうと思えるようになった気がします。ひときわ鮮やかに記憶に畳み込まれているあの場所で感じたこと、考えてきたことをぼんやりとたどっているとあっという間に過ぎてしまった3時間の道のりでした。