昨日テレビ欄で見つけたドキュメンタリー番組、
タイトルに惹かれ見始めたら、もう冒頭から涙が出てきました。
映像というのはやはりそのまま、映す対象の、生きざまそのものが、
映し出されるのだと言うことを、あらためて実感、
まがりなりにも50年以上も生きてれば見えてくるものも深まるのでしょう。
両目が見えなくなって絶望の淵に立ち死んでしまいたいと思った時、
奥様がお父さんが死ぬなら家族全員一緒に、と、それ程強い絆で結ばれた家族に支えられ、
定年まで教師を続け、たくさんの生徒を育てて来た先生、
番組はそのまま、感動的に終わるのかと思いきや、
私には、ちょっとどう捉えて良いのか分からない終わり方になっていて、
この番組を観た人で私と同じ感覚を持った人がいないか、書いてみようと思いました。
先生は定年後、病に倒れてしまいます。
あれほど強い絆で結ばれた家族だったはずなのに、
最期の時を先生は家族と過ごす事を選ばなかったのです。
私にとって思いがけないこの筋書はあまりに悲し過ぎて。。。
先生は病床で「最後はこれかよ」と寂しく語っていて、
最期は家族ではなくある女性のもとに身を寄せたとナレーションは語ります。
しかしその事情は制作スタッフにも語られなかったと解釈できるようなナレーションでしたが、
結局、人の人生というものは、もちろん何も隠す事なく一点の曇りなく生きる人もいるかも知れませんが、
本当の事情はその当事者にしかわからない、私は先生が一体、
家族じゃなく選んだ人と言うのはどんな人だったのだろうかと、
謎を残された番組構成に、見終わった時に、何か、消化不良な感覚を抱いたのですが、
人の心にはそれ以上は踏み込んではいけない領域があり、その切なさを感じとれない、
無神経な自分に釘を刺されているのかとも思ってしまいました。
先生は教師としての素晴らしい生き方には誇りを持っていた、その一方で、
良い父親ではなかった、良い夫ではなかったと、繰り返し言っていたのです。
番組の最後まで見たところで、
その言葉が先生の言い訳のように聞こえてしまい、
もしかして、だから、「最後はこれかよ」と言う言い方になったのか。。。
先生が亡くなった後、「それでも家族は粛々と葬儀を行なった」というナレーション、
そして、ラストには奥様の昔の日記が読まれたのです。
子供たちとの思い出や家族を大事にしてくれていたお父さんのことが淡々と綴られていました。
それなのに、なぜ、先生は最期の時を家族と過ごさなかったのか、
そして、そんなお父さんを許しているかのような、
奥様の日記で終るという構成、
番組制作者がどんな解釈でこの番組を仕上げたのか。。。
また私は本筋と違うところに
視点が行ってしまう、深読みし過ぎかもしれないし、それでも、
人生の切なさ、故の美しさのようなものに感動していることは確かです。