JUNE③ 2011

尼僧とキューピッドの弓 (100周年書き下ろし)/多和田 葉子
¥1,680
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ずいぶん前に書評を読んで気になっていた本。

尼僧修道院の生活、そこに住む人たちを繊細に描き出している。修道院と聞くと世俗を離れた崇高な人たちが住んでいると思われるけど、そこはやっぱり女のドロドロとした人間模様があり、派閥や噂話、悪口にあふれている。
そして修道院長が男性と恋に落ちて修道院を出て行った、というスキャンダラスな事件。

外国人の名前には親しみが持てないけど、作者はそれぞれの人に勝手な日本の単語を当てて心の中ではその名前で呼んでいるところがおもしろい。日本人の名前を当てはめるならまだわかるけど、桜桃さんとか、流壺さんとか、普通の名前ではない単語をつけているところが機微を感じさせる。

ある人の描写で、「線のような神経を持ち合わせず、面で人に接する人。喉が乾いたら自分の唾液をこっそり飲み込む人。」というくだりがあった。あぁ、この作者に初対面でそう思わせる人、そういう人に自分もなりたいな、と思った。

修道院は未婚か離婚した人でなければ入れない。ほとんどの人は離婚。ある意味で、女としての自分を気高く守っていくために修道院に入るのであって、決して女を捨てて修道院に入るのではないんだ、と感じた。だから恋に落ちて修道院を出ていく人に対する気持ちっていうのは実は非難よりも羨望。口には出せないけどきっと。それで残された人たちの中でいろいろな噂が飛び交う。

だけど、第二部の方で、修道院長の気持ちが明らかになる。噂とは全然違う、彼女は彼女ですごく苦しんでいたってのがわかる。そういう話はよくあるけど、修道院長が自分のことを書かれたこの本を見つけてしまう、という設定がおもしろい。この修道院長がきっと今も苦しみながら生きているんだ、というリアリティを感じる。

ただ、ところどころに「性」の匂いがつきまとっていて、いろいろな比喩表現とか描写がちょっと苦手だった。汚らわしいとかいやらしいとか、そういうのではないけど、美しい新緑の風景の中にバニラの匂いが立ち込めているような、ちょっと台無しにされる思い。バニラの匂いそれ自体はいいんだけど、えっ、そこでそんな表現が出てくるの??ってな感じ。

最後に、心に残った文。ぴもーもこういうこと、感じるときあるなぁ。
「わたしたちの物語はいつか交わるのだろうか。それともますます離れていって、それどころか、他の人たちと話が通じたと思えたこともみんな誤解だということがだんだんわかっていって、最後にはたった一人で言葉を失って、この世から消えていくのだろうか。」