March 2014

人生の同行者―上田耕一郎×小柴昌俊・鶴見俊輔・小田実対談/新日本出版社
¥1,890
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ひょんなことから上田耕一郎という名前を知り、どんな人か興味を持ったので読んでみることに。この人の著作はいろいろあるけどどれも難しそうで、唯一読めそうだと思ったのがこれ。対談なのでわかりやすそう、というのと、対談相手に小柴昌俊という、私でも知っている物理学者が入っていたので、気になった。

上田耕一郎という人は熱い人で、本気で日本の将来をマジメに考えている人だな、ということを感じた。政治家というものはそういうものなのだろうけど、政治家というよりはアクティビストという感じ。共産党という集団がそういう人の集まりなのかもしれない。

でもこの本は、実は対談相手のすごさの方が引き立っている。小柴昌俊以外の2人は全然知らなかったけど、社会のことを深く観察し、行動している知識人たちだと思う。特に、小田実という人は目からうろこ的な発言も多く、この人のことももっと知りたくなった。ちなみに、この本のタイトルは小田実が妻を表現して用いた言葉を、上田耕一郎がいい言葉だと思ってタイトルにもらったそうだ。なかなかいいことを言う。

小柴さんの言葉で印象に残ったのはこれ。
「人間がものごとを達成する総合的な能力は、おそらく、受動的能力と能動的能力の掛け算で決まる。」

鶴見さん
「今のところ、1931年以後の15年戦争の指導層が切れ目なしにそのまま日本国家の支配層として残っているので、この前と同じ手口で、戦争にみちびかれる危険から自分たちを守ることを忘れないようにしたいと思っています。」

小田さんが言っている8月14日の大阪大空襲の意味なんかは、ひどくショッキングだ。でもこれはきっと間違いなく事実だと思う。アメリカの新聞なんかもちゃんと調べていて、8月14日にはアメリカではとっくに戦争は終わったものになっていたのに、単に日本政府がグズグズしていたから米軍も空襲をやらざるを得なくなり、大阪大空襲でたくさんの人が死んだ。こんな無意味な死は無い。なぜ国家の判断ひとつで人が意味なく死なないといけないのだろう。

それから、「良心的軍事拒否国家」「災害大国=(世界全体の災害に率先して救援にかけつける国)」という発想も重要だと思った。「世界で災害があったら必ず日の丸の飛行機が飛んでくる」そんな国になったら、かっこいいなぁ。そうであれば日の丸の持つ意味も全然変わってくる。

正直、対談なので上田耕一郎という人をよく知るにはちょっと物足りない感じはしたけど、おそらく自分の考えに自信を持っていて、だけど、だから?、ちゃんと批判にも耳を貸す人だと思った。信念が強すぎてちょっと堅い気もするけど、この人が発言力を持って活動している内は日本はまともな国だと思える気がする。こういう人がいてよかった。共産党とか政治とかは関係なく、この人は信頼してもいいと思えた。スピーチなんかも聞いてみたいと思った。
October 2013

孤高の人〈上〉 (新潮文庫)/新潮社
¥746
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孤高の人〈下〉 (新潮文庫)/新潮社
¥746
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六甲山が登場するから読んでみるといいよ、と山仲間に薦められた。現在、神戸に住んでいるので、当然、六甲山は身近な山だ。六甲山は標高こそ1000mにも満たないが、そのアクセスの良さや、標高の割に急峻であったり、いろいろな地形が楽しめる、登山者にとって、非常にいいトレーニング場である、ということが、この本でも紹介されている。

この単行本の巻頭には、六甲山や北アルプスの略地図がついているので、それを見ながら読めるのも楽しい。

ストーリーは加藤文太郎という実在した社会人登山家をもとにしたもので、日本の登山が、一部金持ちや大学生のものから、一般の山岳会に裾野を広げてきた昭和初期が舞台になっている。
その中でも、山岳会にも所属せず、普通の社会人として単独山行を敢行したつわものが加藤文太郎。

こんな人がいたとは、神戸にいながら全く知らなかった。六甲全山縦走も経験したことはあるが、この加藤文太郎がその先駆けであったとは。読んでよかった。

山はパーティを組んでいくのが常識であり、単独行は本当に自分の力が信用できる者しかできない。でもこの本を読んだら、ある意味ではパーティを組むことによる危険もある、ということに気付いた。三人寄れば文殊の知恵、ということもあるが、船頭多くして船丘に上がる、とも言う。他人がいるから安心することもあるが、他人がいるからこそ迷い、判断を誤ることもある。
でも加藤文太郎はパーティを組むことを否定はしていないし、組めるものなら組みたいとも思ってたようだ。組まなかったのは、本人の気難しい性格と、とびぬけた能力のためだったみたい。

なぜ山に登るか、単独行だからこそ、加藤の自問が繰り返される。答えは出ない。

以下、引用。
「大学の山岳部の名誉のために、名のある山岳会員は、その山岳会の会員としての誇りのために、そして社会人の山岳会は、わがもの顔に山をのさばり歩く、山の紳士たちに挑戦するために、それから、単独かまたは少数グループで山に生命を賭ける者は、若い情熱の発散の場として、失恋の痛手の捨て場として、厭世の逃避場として、なんらかの劣等感の反対証明の場として、山に生命を賭けるのである。
加藤はそのいずれにも属さなかった。」

自分の場合はどうか?やはり仲間がいるから楽しいと思う。

でも今年はそれ以外に、自分で地図を読む楽しさを知った。この本の中でも、加藤は「地図遊び」なるものをしている。歩いた道を地形図上に赤で書き加えて行き、地図を真っ赤にしていく遊びだ。地図を読み、あらかじめ地形を想像しておく。実際にその場に行った時に、想像を裏切られることもあるし、想像通りの地形が現れて満足することもある。この予想と観察がすごく楽しい。
この喜びを最近知ったばかりだったので、そういう意味でも、この本はタイムリーで、何か自分の中で特別な感じがする。

それから、家族の存在。独り身の時は不死身であったのに、家族のために死ねない、と思った矢先に死んでしまう、という命の理不尽さを思わずにはいられない。もちろん、この本が事実のすべてではないと思うが、ある意味、本質をついているような気もする。

いつか自分も単独で北アルプスを歩いてみたい。まずは夏山からかな。。。


September 2013

道なき渓への招待―沢登り大全/東京新聞出版局
¥1,470
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 昨年から沢登りの楽しみを知り、今年は自分でも多少計画していくようになった。沢登りと聞いて危ないと思う人は多いし、実際に危ないなーと思う場面がたくさんある。でもそれが楽しいし、その怖さを上回る楽しみがある。
 リスクがあるから楽しいんだけど、経験と知識でリスクを軽減していくことはできる(そうなるとより大きなリスクを求めるようになる可能性は大いにあるが・・)。それに、これはほんとにヤバいってのと、これくらいはなんとか大丈夫、というのと、そのギリギリのところの判断がちゃんとできるようになりたいって思うようになった。
 沢登りのエキスパート、「沢屋」と呼ばれる人たちがどんな思いで沢登りをしているのか、そんなことを思いながら読んだ。この本を知ったのは、同じく沢登りを楽しむ友人が読んでいたから。

 この本の作者は作家ではなく、沢屋さんなので、文章の巧拙は一般人レベルかと思いきや、かなり高尚な文章で、漢字も私にとってはちょっと読みづらいものもあった。かなり文章を書き慣れている人なんだろう。職業は何かはよくわからないが、、、しかし10日間も山を駆け巡ったりもしているので、わりと自由な職業なのかもしれない。
 一番記憶に残ったのは沢と女性についての考察をしていたところ。沢はとにかく足腰が冷えるので、女の人には結構ツラい。生理になんかなると結構エラいことだ。それについて男性の視点から書いてある。それらをいたわりながらも、筆者は、だけど女性の方が強い、と書いている。山のパーティの中では性差は関係なく扱われるが、ピンチになるとやっぱり男は女を守ろうとする。しかし女はもともと忍耐強く、本能的に体力を温存する傾向があるらしく、男は死んでも女は生き残ることが結構あるらしい。
 自分のことを振り返るとなんとなく納得してしまう。大きな岩場や滝ではやっぱり登れなくて引っ張ってもらったりして押し上げてもらったりしつつも、疲労度合はいつも自分が軽い気がする。男から見るとズルいと思っているのかもしれないが、、、
 沢登りは究極の遊びというようなことが書いてある。その遊びについて、いろんな角度から何がおもしろいか、というのを考察していておもしろい。仲間、計画、地図読み、滝の登攀、泳ぎ、雪渓、景色、魚、きのこ、たき火、などなど。
 結局、沢登りってのは冒険なんだな。いわゆる登山は道があるところを行くものだけど、沢登りは道が無いところを行くってのがめっちゃ楽しいんだ。人がいないところ、文明の英知を越えた世界。そういう世界で人は個の能力を試される。個では乗り越えられないことも仲間の一言なんかで乗り越えられたりする。なんかそういう妙もおもしろいんだろうな。
 さて、こんなすごい人たちにどこまで近づけるだろうか。目指す必要はないけど、でもおもしろいと思える限りは高みを目指したい。
August 2013

旅をする木 (文春文庫)/文藝春秋
¥500
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職場の人がプレゼントしてくれた本。非常によかった。
星野道夫という人は非常に情熱的でありながら、静けさを愛し、さらに人間もこよなく愛している人だと思った。

アラスカや氷雪に閉ざされた土地というものは、死の世界であり、ひたすらに自然の厳しさを感じずにはいられないが、この本を読んで、私もこんな土地に住んでみたいと思った。
死の世界であるからこそ、そこに生きている動物たちのたくましさや脆さ、神々しいほどに美しい景色に出会える。そして、その土地に息づく神話や民族の暮らし。

この本では非科学的な視点も多く出てくる。個人的にはそういった考え方は嫌いだが、アラスカにはそういったものも存在するのかもしれないな、と素直に思えてしまう。
おそらく、この作者が単なるエッセイストではなく、やはり冒険家であるからだと思う。命を懸けて自然の中を過ごしてきた、その経験から、第六感が発達してきたのかもしれない。そういった勘や感性を研ぎ澄ますことが必要だったろうし、もともと誰もがそういうセンサーを持っていたのに、都市に暮らすようになって退化させてしまったのかもしれない。

以下、気になった箇所の抜粋。

・・・自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。そしてぼくが魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さの方です。・・・そういう脆さの中で私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちのような気がします。

私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。・・・本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。

・・・きっと情報があふれるような世の中でいきているぼくらちは、そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に放り出されると、一体どうしていいのかうろたえてしまうのかもしれません。けれどもしばらくそこでじっとしていると、情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。

・・・子どもが内包する記憶とははかり知れないものかもしれない。今でなくていい。日本に帰って、あわただしい日々の暮しに戻り、ルース氷河のことなど忘れてしまってもいい。が、五年後、十年後に、そのことを知りたいと思う。ひとつの体験が、その人間の中で熟し、何かを形づくるまでには、少し時間が必要な気がするからだ。

・・・私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと・・・ ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。

寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人を近づけるんだ。

動物たちに対する償いと儀式を通し、その例をなぐさめ、いつかまた戻ってきて、ふたたび犠牲になってくれることを祈るのだ。つまり、この世の掟であるその無言の悲しみに、もし私たちが耳をすますことができなければ、たとえ一生野山を歩きまわろうとも、机の上で考え続けても、人間と自然とのかかわりを本当に理解することはできないのではないだろうか。人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。
July 2013

ジーン・ワルツ (新潮文庫)/新潮社
¥546
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同僚に借りて読んだ。最後の怒涛の結末がすごい。ちょっとできすぎていて、いかにも小説、ドラマだな、と鼻白む感はあるが、よくできた小説だし、作者はかなり勉強していることだろう。現代のいろんな問題をよく包含している。

主人公がちょっと特殊すぎて、あまり共感はできないので、あまりのめりこめないのが残念。妊娠・出産経験がある人が読んだらまた違うのかも。
それに、ちょっと産婦人科医や役所について、善悪の仕分けが単純すぎる。現実はそんな単純な対立構図ではないと思う。

しかし、一般の人にこれだけ日本の医療現場や人工生殖や法律などについて、いろんな疑問を投げかけるという意味では非常に成功している本だと思う。これをきっかけに、医療、特に産科医療について多角的な見方ができるようになった、という人も多いと思う。

そして私は人口受精や代理出産をもっと推進すべきという思いを強くした。それらが可能な技術を手にした今、それらを抑える手は無い。法律や倫理観というのは時代とともに大きく変わっていくものだし、変えて行けばいいと思う。自分の子孫を残したいと思う人がいたら、その願いを叶えることが人間の本能にも叶うことだと思うし。逆にいったら、子孫を残したくないと思う人の分までがんばってほしい。