ペルーの4月5日 | 南米ペルー在住、ピルセンの「ペルー雑感」

ペルーの4月5日

ペルーの4月5日

 

別に特別な記念日ではない。

 

20年前の4月5日(1992年4月5日)当時の大統領だったフジモリが夜テレビラジオを通じて、憲法を停止し国会を解散すると発表した。大統領自身が司法や国会の権限を無視したのだ。反政府武装勢力とか、軍隊とか、大衆が蜂起するとかで政権が倒されたわけではない。政権担当者自身がクーデターを起こしたのだ。まさに自政権の独裁化まっしぐらというわけだ。当時も今もペルーでは権力者を非合法に倒すのではなく、権力者自体が体制を非合法に変えるのだ。アウトゴルペ(自演クーデター)と呼ばれる。

 

日本ではフジモリ政権が1990年7月に誕生し、日系の大統領だとして結構、政権発足前後には日本のメディアがペルーのことを報道していた。ニュースなどで報道していた。「なに、それ?」、「フジモリ乱心か」なんて日本のスポーツ紙は新聞の見出しをつけていた。アウトゴルペの理由は大統領自身も説明しているし、国民も知っていた。経済と治安の問題を解決するのに、少数予定だったフジモリ政権は改革の法案が次々と葬り去られ、大統領の権限だけでは大鉈(おおなた)をふるえなかったからだ。

 

このアウトゴルペが起こった前、1990年に日本の入管法が改正され日系人(!?)に対して所定の手続きを経て、特別枠で在留資格認定されれば日本に「定住し」「働くこと」ができるようになっていた。だからこのアウトゴルペを日本で聞いたペルー人も少なからずいた。多くのペルー人が外国に仕事を求めて定住するのは、これ以前にもあったし続いていたけれど、その行先に日本が加わったのだ。

 

当時、ペルーはふたつの大きな問題を抱えていた。年間7000%を超すハイパーインフレ、そして農村部に跋扈していたテロリスト(外国の報道ではゲリラ)が“農村から都市へ”活動を強めていっただけでなく、テロ被害が(物心ともに)がひどくなっている時期だった。その頃、今のようにインターネットで瞬時にペルーで起こったニュースが一般人にも判るような時代でなかった。ましてや日本語もよく理解できない在日のペルー人は、どう理解しただろうか。

 

日本に来た日系ペルー人は親戚に会いにきたわけでもないし、観光旅行に来たわけでもない。「仕事しに働き」に来たわけだ。日本にやってくる理由となった経済面=ハイパーインフレ、テロによる治安の悪化を直接間接的に大きな影響を受けていた訪日ペルー人は、このふたつの課題に取り組もうとするフジモリを応援しただろう。もちろんそうでない人もいた。そしてペルー国内のペルー人も大勢がフジモリのアウトゴルペを支持していたとの世論調査結果が出ているから、同様だろう。そのころ、日本はバブル経済がまだまだ泡吹いていたのだし、現場の作業仕事を見つけるのに事欠かないから、こんなことがある、なしはあまり関係なかっただろう。単純作業の外国人労働者の受け入れの是非の議論があった懐かしい時代だ。

 

実際、日本の企業からの求人がペルーでも直接面談や斡旋業者による受け入れが盛んにおこなわれていた。アウトゴルペがあったから、日本行に拍車がかかったわけではない。米国やカナダ、スペインや欧州、オーストラリアに働きにでるのと同じように、日本がその中に加わった。もちろん、日系という限定付きだが。ちなみに、外国に働きにでる人は生活困窮とは限らない。借金もできないような貧困層は外国に活路を求めることさえできない。専門職(医師、弁護士、エンジニア、建築家、会計士、経営コンサルタントなど)といった自分の持っている能力でペルーにいる以上に高給がとれるという条件があれば外国に出ていく。専門職でも作業労働に甘んじ、ペルー帰国後の独立と更なる専門性をたかめるための資金確保のためという人もいた。

 

ただ日本の場合は他の国と違った。独立系の外国人が専門職の能力が活かせるような社会ではないからだ。英語やスペイン語で専門職の能力があっても、日本では役に立たない。だから金をためる目的で将来はペルーに戻ってその専門職で仕事するための資金確保のため、という人もいるわけだ。高学歴、専門家であった人が現場作業員として日本で働き、ペルー帰国後 その資金を元手で開業(例えば歯科医、会計士、建築家)した人がいる。また、日本で覚えた技術(パソコンソフト、経営、寿司職人や調理人、ケーキ職人)を活かしている人もいる。

 

アウトゴルペから25年経過し、形をかえて日本で就労するというのは続いている。日本に「残った人」で、高学歴者で研究者や大学教員になった人もいる。日本で起業して独立した人もいる。この前あった在日ペルー人は、定年退職するし年金ももらえるから、老後を日本で過ごすか、ペルーの実家のある街に戻るかどうしようかと考えていた。こどもたちはペルー国籍だけど日本生まれだし、スペイン語より日本語が母語だから、こどもは日本に残るだろうなんて言っていた。