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夢の彼方に

折に触れて鑑賞している様々なライブやアート、スイーツについて
綴っています。

「正欲」を鑑賞しました。

原作を読んでいなかったので、映画化されると知り、昨日読了。

まずこの原作を映画化すると聞いて、朝井リョウ氏は大変驚いたのではないだろうか。これまで数多くの衝撃作・問題作と言われた作品を観てきたが、これは人間の本質を鋭くえぐった、文字通りの衝撃作である。

 

中学校で出会った桐生夏月(新垣結衣)と佐々木佳道(磯村勇斗)は、ある日お互いの性癖が同一であることを知る。これまで他人に絶対に知られないよう、目立たない生き方をしてきた二人に、一瞬の光が差したような心地よさを感じた。成人となり遠く離れて暮らしていたが、佳道は両親が事故により死亡したため実家で一人暮らしを始めた。やがて、宿命のように二人は再会し、この世で二人だけの世界を生きるために、偽装夫婦となるが・・・。

 

このオファーを新垣結衣に出したスタッフに驚くが、それを受けた新垣結衣は、相当な覚悟を必要としたことだろう。

全編を、胸が苦しくなるような言葉で綴られている。

 

「自分がどういう人間か、他人に説明出来なくて、息が出来なくなったことはありますか」

「明日が来なければいいと思って生きてきた」

「誰にもバレないように、無事に死ねるように生きてきた」

「生きるために必死だった道のりを、あり得ないって簡単に片づけられたことって、ありますか」

 

何をもって「普通の人」というのか、現在の多様性の社会では既に死語になっている感さえあるが、誰にも他人に見せない裏の顔があり、多くの悩みを抱えて生きている。しかし夏月や佳道のように、余りにも意外な性癖を持つ人々には生き辛さしか感じない社会なのだろう。

今年度の邦画№1は、既に3回観た「ゴジラ-1.0」がダントツであったが、ゴジラの前に「正欲」が立ちはだかった。

 

 

 

 

「ゴジラ-1.0」を鑑賞しました。

ゴジラ生誕70周年記念作品、シリーズ30作目という節目に公開された本作は、戦後間もない焦土と化した東京を、ゴジラが襲う。

 

昭和20年、特攻兵の敷島浩一(神木隆之介)は機体の故障により大戸島へ不時着するが、その夜、巨大な生物が出現し、日本兵を殺戮。敷島は東京の実家へ帰還するが、家は全焼し父母ともに亡くなっていた。やがてバラック街で出会った女性・典子(浜辺美波)と、典子が連れていた少女と3人で暮らしていた。数年が経ち、東京は徐々に復興していくが、そこにゴジラが上陸し、破壊の限りを尽くす。GHQは対策の全てを日本に委ねるが、政府は機能不全に陥っていた。そこで元海軍兵による民間の特殊部隊が結成され、敷島も参加する。敷島が大戸島へ不時着した真の理由は機体の故障ではなく、特攻から逃げたからであった。東京へ戻ってからも、大戸島で殺された整備兵の顔が毎晩のように浮かび、悔恨の念にかられていた。しかし、元海軍工廠で兵器開発を担っていた野田健治(吉岡秀隆)が立てた作戦は、驚くべきものだった・・・。

 

やはりゴジラには「昭和」が似合う。初代ゴジラは昭和29年の作品であるが、本作は更に遡る。初代が出現した大戸島から物語が始まり、日劇や和光が破壊される。初代が松坂屋付近を襲った際、「お父ちゃんのところへ行くのよ」と娘に語った母娘の姿が、強烈な印象となって今も忘れることが出来ない。

本作の監督はVFXの先駆者である山崎貴氏であり、余りの見事さに現実の世界へと引き込まれるが、海での撮影シーンは10日間も掛けた「実写」であった。

「シン・ゴジラ」が、突発的な状況に直面した日本政府による危機管理を克明に描いた偶像作品であったが、本作は、壮大なる人間愛・家族愛を謳っている。

 

 

 

今日は、年に一度はライヴで鑑賞しているシューベルト「未完成」の日。

 

指揮はバロック・チェリストでもある鈴木秀美氏。

 

演奏は、新日本フィルハーモニー交響楽団。

 

小学校3年の時に聴いた「未完成」に衝撃を受け、「モルダウ」とともに、永遠に聴き続けたいベストクラシックである。

 

シューベルトは生涯で約1000曲の作品を残し、600曲以上が歌曲であり「歌曲の王」と呼ばれているが、未完の作品が数多く残っており、新たなる音楽の境地への道を模索しているなか、31年の短すぎる人生を閉じた。