目の前を、信じられない光景が過ぎ去って行った。
1981年、日本でも国際レースが開催されると聞いて、胸が高鳴った。インターネットのない時代であり、イエナや丸善といった書店を歩き、海外競馬の情報を集めていた。
あの時代に、アメリカとイギリス、アイルランドの、少なくともGⅠレース優勝馬に関しての知識は、日本でも5本の指に入っていただろう。すでに日高での種牡馬巡りを始めており、セクレタリアトやニジンスキーに会うことを夢に描いていた。
第1回ジャパンカップの出走馬を見ると、明らかに6歳牝馬のザベリワンの成績が抜けていた。しかし、木曜日の早朝に行われた公開調教で見たその姿に愕然とした。まるでねずみだった。
他ではフロストキングがかなりスピードがありそうだという程度だった。メアジードーツは、GⅡ勝ちがあるものの、馬場に出てもダクで1,2周するのみ。更に脱水状態に陥り、出走回避するのではないかと言われていた。“インドのシンザン”と呼ばれたオウンオピニオンは明らかに格下だった。
調教内容よりも驚いたことがある。それは調教後、各馬が冷水が入ったラバーバケツに両前脚を浸けたまま、なんと1時間も微動だにしないことだった。
パドックでは期待のモンテプリンスとホウヨウボーイが、堂々たる馬体を揺らして歩いていた。この2頭が、ねずみのような6歳牝馬と脱水状態に陥った5歳牝馬に負けることなど、到底考えられなかった。
しかし・・・
4コーナーから、勝つために上がって行ったモンテプリンスは直線半ばで脚が止まり、飛ぶようなスピードで逃げたフロストキングを、ゴール前でメアジードーツが捉えた。
2分25秒3という、見たこともない時計が掲示されていた。
あの夜、種牡馬巡りをしていた友人たちと渋谷で飲みながら、黒船襲来の恐怖と、開国してしまった日本競馬の未来を、暗澹たる思いで語り合った。
第3回の優勝馬であるスタネーラは、ジャパンカップ史上最も印象深い馬である。
スタネーラは、来日してから強度のコズミを発症し、馬場での調教が出来なかった。
だが、本国アイルランドの時刻に合わせて、つまり真夜中に、地の果てまで歩くかのような引き運動を、毎晩続けた。日中は、ひたすら全身マッサージを施していた。
そしてレース当日、返し馬に入ったスタネーラを見た大橋巨泉と「返し馬の神様」臼井治は、顔を見合わせ同時に叫んだ。
「スタネーラに勝たれる!」と。
レースはゴール前で、キョウエイプロミスとスタネーラの叩き合いになり、スタネーラがアタマ差で優勝した。
キョウエイプロミスは直線で右前脚を骨折しており、執念の2着だった。