母方は代々、五島列島にルーツを持つ長崎のキリシタン、父は三重の家系で、京都出身。自分は江戸の下町、深川辺りで生まれ育つ。キリストと同じ誕生日の姉がひとり。


母方の普通の流れで、カトリックの幼稚園に通い、洗礼も受け、ミサの手伝いなどをしいてた時期もあった。聖書の言葉の意味が難しすぎて、全くわからなかった。お祈りも、意味もわからずに暗記した呪文のような感覚。幼稚園で見せられたビデオで、男の子がサソリに刺されて死にかけている時に、マリア様が出てきて、助けてあげるのかと思ったら一緒に天国へ連れて行っちゃって、「あれ?なんで?」と思ったのを覚えている。自分の感覚と違う事を、これが正しいと言われて受け入れることが苦手だった。


ヨゼフ様役の子がやりたくないって辞退して、先生に呼び出されてお願いされたので仕方なくやったヨゼフ様。

父が空手をやっていた流れで、空手を習っていたけど、上達したいという気持ちがない。


小学校では、宿題はやらない。毎日のように忘れ物。忘れ物というか、覚えているんだけど、めんどくさくて用意しない。勉強も、できるできないの前に、やりたくない。頭を使って考えることが苦手だったので、わからないことを無理してわかるようにしようという気持ちはなかった。


変な頑固さがあって、先生が、「半分というのは、1個"の"半分ですか?それとも1個"と"半分ですか」という質問に対し、1個と半分の方に手を上げて、先生の説明を聞いて解った後も、1個と半分の方に手を上げ続けるような、意味のない頑固さ。バカな子だと思っただろうな。数学で、2辺が平行の、平行2等辺三角形はありえないと言われれば、平行2等辺三角形を作ろうとする。占いで悪い結果が出ても、厄年だったとしても、力ずくでも捻じ曲げてやろうというような思いは小さい時からあった。


扱いにくそうな子供だけど、自分のことはあまり出さない、泣いてばかりの大人しい子だった。隣の子が落としたものを拾って、渡してあげようと思っても、それを言い出すことができずに、持ったままになってしまって、どろぼうと呼ばれるぐらい、引っ込み思案。でもこの時に本物の友達、〇関くんが、「〇ちゃんが、そんなことするわけないだろ」と言ってくれて、嬉しかった。その後も、「どろっぼー♪どろっぼー♪」って言われて、そういう形になっちゃったから言い返す言葉はなかったけど、盗んでまで欲しい物でもない。書道の短くなった墨を持てるようにする、墨ばさみ。でも、謝りたくても手遅れ。そんだけ悪者にされたら怖気づいて、ごめんねも言い出せない。


おねしょもずっとしてた。2階で寝てて、1階にしかトイレがなくて行きたくない。その階段から落ちて救急車で運ばれたこともあるから、夜にひとりで起きて階段を降りるなんて、おそろしい。特に冬は、寒い、暗い、落ちる、の3つの難関をクリアしないとトイレには行けない。


「舞いあがれ!」の予告を見て、パイロットを目指すというところが一緒だなと思ったら、小さい時の自分みたいな、おとなしい舞ちゃんが出てきて、似てるなあと思った。そしたら五島列島に繋がって、自分と重なるところが次から次に出てきて鳥肌が立った。シンガポールでの訓練中にちょっと見ただけなので、大人になった舞がどんな人なのかはわからないけど。ちょうど長崎のエアラインのパイロットが訓練に来ていて、おじいちゃんが一緒に来ているような不思議な気持ちにさせられた。


いつも泣いていたのは、泣けばそこで簡単に今の状況をポーズさせることできるから。泣くのを我慢できる状況でも、言葉で自分の気持ちを伝えるのが苦手だから、とりあえず泣く。ちょっと間をおいて数秒考えて、どうしたら良いのかわからないから、とりあえず泣く。


今思うと、発達障害だったんじゃないかとも思う。

仕事の監査で、コミュニケーションは特に重要視される項目なので、コミュニケーションは問題なく取れる。でも、プライベートでは、今でも自分の感情や意見を言葉で表すことは苦手だ。会話中に想定外の返答が来ると、今でも緊張して赤くなることがある。


小学校では、泣くのを面白がられて、クラスのみんなから無視されるというイジメにあった。


運動は、ドッジボールですぐにボールをぶつけられるけど、うんていとか木登りとか、猿系は得意だった。


サッカーも姉がやっていた流れで、ちょっとやってた時期があったけど、球技は苦手でぜんぜん上手くならないというか、上達したいという向上心がない。チームに溶け込めないので、チーム一体になってやるスポーツなんか無理だった。ペアになってパスの練習をする時は、誰もペアを組んでくれずに余っちゃうタイプ。初めての公式試合では、行く前の集合場所で「公式試合、初めてなんだ!」って嬉しそうに話してたら、コーチに「〇君は今日はいいよ」って言われて、笑われながらその場を去った。ワールドカップは好きで見るけど、毎回この時の悔しさを思い出して、苦い気持ちで見ています。


姉はたぶん後輩から慕われるようなタイプ。中学で、姉が卒業したあとも、姉の後輩から「これ、お姉さんに渡してください」と手紙を渡される。


小学校の高学年になって、やっと泣くことが恥ずかしいと思うようになり、名誉挽回したいという気持ちが芽生えてきた。体育の時間にやった腕立てを続けて、中学では器械体操部に入って身体を鍛え、気付いたら泣き虫扱いする人も、いじめてくる人もいなくなった。


でも、まだ影では言われてた。体操部の先輩女子ふたりが自分の話をしているところを通りかかった。「〇君、気持ち悪いよね」と、ひとりが言ったと思ったら、もうひとりが、「えっ、かわいいじゃん」と言ってくれた。自分が通りかかったのに気付いてそう言ってくれたのかもしれないけど、いい人もいるなと思ったのと同時に、気持ち悪いと言った方に「オマエが言うな」と思う、心の中での静かなリベンジ。


ホワイトデーでは、泣いてる女の子を慰めているグループの前を通りかかった時に、慰め役で体操部の友達の〇野さんが、「〇くん、マシュマロくれるってことは、好きじゃないってことなの?」って聞いてきて、泣いてる子が、「〇に聞いたって、わかるわけないじゃん!」と言ったときには、ムカッと来て「オマエがもらったんならたぶんそうだね」という気持ちを必死に抑えて、「どうかな?違うと思うけど」と言えた大人の自分を誇りに思う。バレンタインデーも、人によっては憂鬱な日だ。泣き虫小学生の時、一度だけもらったことがあるけど、他の人にもあげてるただの義理チョコ。それで親に騒がれるのも恥ずかしくて気まずいし、ホワイトデーにお返しを買うのも恥ずかしい。駄菓子屋で飴を何個か買って渡しただけ。もちろん、それ以来くれない。精神的な負担のほうが大きいから、ほしくないけど。だいたい、バレンタインデーは、ほんとは男性がプレゼントをあげる日なのに、チョコレート業界の陰謀で、日本では男女逆になって恥ずかしい思いをさせられる。


器械体操も中途半端だった。実力ではなく、先生のつてで都大会まで行けたけど、結局最下位。かろうじて跳馬だけ7位になったけど、それも中途半端な順位。学校の鉄棒は校庭だけで、体操部の鉄棒がなくて練習もできず、全くできないから棄権した。でも、もしぶら下がっていたら1点貰えたので、最下位じゃなかったなあと、後から後悔。どちらにしても中途半端。


高校の受験勉強は、〇研ゼミ。塾へは行かなかった。でも勉強は嫌いだから、自分でやる〇研ゼミは向いてない。ただ、同じ航空高専を目指していた友達も〇研ゼミをやっていたので、一緒に勉強して、先生が思うには合格できるというところまで偏差値は伸びた。落ちたけど。その友達と一緒に合格発表を見に行って、自分だけ落ちるという悔しさ。友達は、お母さんも連れてきていて、息子の合格を喜びたいはずなのに、困ったでしょうね。


都立の普通科に行くことになり、高校生活が始まると、小中から同じ人が一人もいなかったので、高校デビューというか、新しい自分を出せるような開放感があった。でも、みんなでいても楽しいんだけど、やっぱりグループの一員でいる事に慣れないと言うか、みんなは受け入れてくれるけど、受け入れてもらう事が恥ずかしいと言うか、皆と同じグループに属するというのが嫌というか、人とは違っていたかった。みんなで集合写真とかになると、どこかへ行って隠れてた。でも、あとで「どこ行ってたの?探してたんだよ」と言われると、嬉しい気持ちになる。


両親は、自由に何でもやらせてくれた。今自分が親として、子供には危険だからやってほしくないと思うことも、サポートしてくれた。バイクの免許を16で取った時も、自分だったら「危ないからバイクはやめて」と言っちゃいそうだけど、バイクを買おうか迷ってる時に、バイクを買うお金を貸してくれようとしたり、サーフィンを始めれば、サーフボードを乗せるルーフラックを買ってきてくれたり、自分の行きたい道を突き進んで行くことができたのも、子供の頃からの自由さのおかげで、恵まれていたと思う。高校卒業したてで、将来の進路もわからないし、職につけるかもわからないのに、飛行機の免許を取りに海外へ送り出すなんて、暗闇に放おり出すような勇気。


「恵まれた家庭環境で育ったでしょ」と言いたいんじゃない。行きたい方向へ進むのに、親の敷いたレールに乗せられている人でも、脱線して自分の道を行けばいい。ただ、その先には崖があったり道が途切れていたりするかもしれないので、自分で行くなら覚悟して、道が続いてなくても進み続けるしかない。自分が信じる道があるなら、突き進めばいい。親の敷いたレールが自分の行きたい道ならば、それもいい。親に決められた人生がカッコ悪いとも思わない。


自分は、優等生でスポーツ万能の出木杉くんでも、お金持ちのスネちゃまでもない。どちらかと言えば、のび太だ。前にも言ったけど、「のび太、こんなに頑張りました」と言いたいんじゃない。のび太はアニメだから、ドラえもんがついているし、どんなに大変な事があってもハッピーエンドの方向へ行くけど、ドラえもんがいない実写版のび太のような人間でも、自分のストーリーの主人公は自分であって、ひとりでも多くの人に一歩踏み出してもらいたい。



追記:いじめと自殺


泣き虫でイジメられる他にも、友達だと思っていた子が、他の子とコソコソ話ながら、自分をおとしいれようとする。しかも、もうひとりイジメるための女の子を連れ出し、その子と自分をくっつけようとする嫌がらせ。「こんなに性格悪い人間が存在するのか」と思った。子供だから善悪わからないっていうので終わらせてはいけない。誰かが死んでから、あの時はごめんねでは、遅すぎる。数年後に、「一緒に〇〇行ったよね?」と、「友達だよね」みたいな感じで寄ってきた時は、なにを言ってんだこいつは?と呆れ果てた。


やる方は軽い気持ちで、遊び感覚で人を傷つける。やられる側の気持ちはわからないし、それで誰かが自殺しても、自分だけのせいではないと、非を認めようとはしない。


味方である友人や家族でさえも、わかってあげられてないこともある。「えっ、そんな小さなことで?」ということでも突き刺さる事がわかってもらず、手を差し伸べるのが遅れたり、「それぐらいなら頑張って」というのを感じ取ると、自分でどうにかしろと突き放されている感覚になって、相談もできずに気持ちを抑え殺すようになる。〇ちぇるが亡くなってすぐに心境を報告する、友人のSNS拡散。本当に心を痛めてるなら、SNSどころじゃない。少し時間が経ってからならまだしも、次の日とかに。精神科医から見た解説という、ここぞとばかりに、人の死を自分のSNS配信に利用する、彼女の家族や友人の気持ちがわからない精神科医。


〇ちぇるをフォローしてたわけでもないので、詳しいことはわからない。自分の勝手な想像だけど、息子が友達に、お父さんなのに女の人だということを、いろいろ言われてたのかな。自分のせいで子供が可愛そうだという思いで、子供のためにいなくなってあげようと思ったのかな。彼女が、息子の誕生日の次の日に亡くなったことを、「子供に対して罪深い」と言ってる、ひどいやつもいる。追い詰められて苦しさの限界を超えた人へのトドメの一撃。そういう軽い気持ちのSNS発信が、知らないうちに人を死に追いやる。芸能人でも「俺で良かったら、いつでも相談してくれ」とか言う人もいるけど、一般人ひとりひとりに対応できるわけがないのに、そういうことを軽く発信する。助けてあげたいという気持ちはわかるけど、できもしないことをオファーしても、相談する方からしたら「無視された」、「相談に乗ってくれるわけがない」となって、余計にダメージを受ける。助けになりたいという思いはわかるし、叩いてるわけじゃない。ただ自分個人の見解なだけで、正しいか間違いかの話ではなく、助ける側の考え方や価値観がベースになっているから、相手の立場になってサポートするのは、なかなか難しいということ。相手の気持を考えることの前に、自分の「助けてあげたい」という気持ちだけが独り歩きする。ああしてみたら?こうしてみたら?とアドバイスしても、精神的に疲れ果てて、それを実行に移す元気も気力もないし、「わたしも同じような経験した事があるよ」と、同調しても「辛い経験したけど、頑張って乗り越えたよ」と変換されて、もうこれ以上頑張れないという限界まで来てるのに、今まで以上に頑張らないと抜け出せないのかという気持ちになってしまう。


周りができることといえば、ただ存在を認めてあげるだけでいいと思う。一緒にいて楽しい、うれしい、ありがとう。子供は、友達にいろいろ言われるし、難しいかもしれない。でも、うちの高校生の息子も女の子っぽいところがあるけど、六歳の弟は、男の子が女の子みたいでもおかしくないんだとちゃんとわかってくれる。娘の親友は、両親がふたりともお母さん。それか、ひとりは元女性のお父さん。


自分も専門家じゃないし、人の気持ちがわかると言ってるわけじゃない。でも、自分自身の経験から、勉強と研究だけの専門家よりも、弱い者の立場はわかる。


弱かった自分をさらけ出すのは、心地悪い。子供の頃の弱い自分について、誰にも触れてもらいたくないし、思い出したくもないので、最近まで奥さんにも話したことがなかった。触れてもらいたくないと言っても、自分の気持ちが先走っちゃう人が、いろいろ言ってくるかもしれない。今でも、思い出して寝れない夜もあるから、思い出させないでくれ。でも、インターネットのなかった時代だったら死ななくて済んだ人たちが、SNSのせいでどんどんいなくなっていくから、ひとりでも多くの人に、崖っぷちにいる人たちの気持ちをわかってもらいたいという意味でのカミングアウト。


その気がなくても指でちょっと押してしまえば、すぐに崖から落っこちるし、手を差し伸べればもう一日思いとどまる。簡単に人を死に追いやる事のできる、怖い世界だということを認識してない人が多すぎる。


〇ちぇる、死にものぐるいで頑張ったんだから、次は最初から女の子に生まれ変わってくるね。


自殺は弱い人間がするんじゃないと思う。辛い思いを誰よりも我慢して、叩かれても追い詰められても自分の限界を超える最後の最後まで戦い続けた強い人。


「あなたも〇ちぇるを自分のブログで利用してるじゃん」と言う人も絶対にいるだろうな。そうとしか取れないなら、そういう人たちには、このブログで伝えたいことが伝わらないということだから、そう言われてもいい。


ということで、パイロット観察日記、最終章です。日本のテレビが見れないから、どうしてもインターネットの世界から離れられないけど、子供が、「パパ、見てー」と言って「ちょっとこれ終わるまで待って」と言った瞬間、「なんでブログなんかやってんだろう」と思いました。また出てくると思いますが、間接的なネットの世界ではなく、直接触れ合う現実の世界で生きる事を大切にしたいと思います。




姿が見えなくても、まあるい月はいつだってそこにいる。見えなくても手を伸ばせば、そこにいる。


太陽の光が氷のクリスタルに反射して、まるで太陽が2つあるみたい。ひとつだけの存在でも、同じ人が違うところで輝ける場所もある。


人間に切られ、くり抜かれ、白蟻に食べられて幹が空洞になっても、生き続けてくれたから会えたんだね。


人魚が男でもいい(マーマン)


ちょっと重たいけど支えます。


私だって疲れちゃう時もあるよ(0歳10ヶ月)
とりあえず、死ぬ前にもう一度だけ休んでみては?

流産でいなくなった、お兄ちゃんかお姉ちゃんに「起きたら本読んであげるね。起きたら明日会おうね」と、お話する弟

自分なりに編み出した、ありえないと言われた平行2等辺三角形。筆のようにはらうことで、先が細くなって、平行線なんだけど、内側に細い3角形ができる。

 

 

 

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