こんばんは、龍司です。

本日は、前回の記事 の続きで、

バドワイザーブランド戦略」に関して感じたことをお話します。


なぜ、このお話をしようと思ったかというと、、

9月24日 の記事「小室哲哉氏が失ってしまったものは・・

について考えた時、

小室さんがコロナビールのような「強いメッセージを失ってしまった」のと同時に、

時代の変化に合わせた対応ができなかった」という理由も

考えられると思ったからです。


そして、時代の変化に合わせた対応を巧みに行ったバドワイザーBudweiser

の事例はとても参考になると思います。

bud


みなさんはバドワイザー を飲んでますか?

私が学生の頃には「アルコールが薄くて水みたい!」と言ってる人も

多かったですが、今では私は文字通り「水」感覚でいつも飲んでます(笑)


とても飲みやすく、味も結構好きです。

価格も安いですしね。


ところで、

バドワイザー を販売する米国アンハイザーブッシュ社のブランド戦略に関しては、

先日ご紹介したダグラス・B・ホルト氏の「ブランドが神話になる日 」にも

説明されていますが、米国の社会的変化に巧みに対応して変化させたという点で

非常に参考になる事例だと思います。

どんな社会的変化に巧みに対応し、

ブランドをどう変化させたのでしょうか?


この本の中で説明されているバドワイザー のCMの変化

にそって考えてみましょう。


「このバドをあなたに」CM時代


「このバドをあなたに」をキャッチフレーズにしたCMのメッセージは、

(以下、引用)


このバドをあなたに

あなたには、あなたにしかできないことがある

だから贈ります

大事なのは言葉ではなく行動

それを知っているあなたに、ビールの王様を


CMのビジュアルには、自分の腕を頼りに仕事に励む、

さまざまな職種のブルーカラー労働者のコラージュ映像が使われた。・・・

バドワイザーは、腕を頼りに働く全ての男たちを賛美した。・・・

シリーズが進むにつれて応援メッセージはさらに強まり、

いかにも大仰な表現まで使われた。

例えば「あなたこそが主役、あなたの力が全てを動かしているのです」とか

「あなたの活力こそが米国の原動力。あなたの力と希望とがんばり。

この国の成長を支えているのは、あなたなのです」といった具合に。

・・・・

バドワイザーは米国の男たちに、

熟練労働者が再び社会の中心となる日への希望を与えたのだった。

(以上) 


このメッセージの中にも共感できるところは多いです。

メッセージを聞くと、確かにお酒も飲みたくなりますしね。(笑)


ところが、時代はバドワイザーが賛美していた労働者像の逆の方向へと

向かっていたのです

この頃(1980年代後半)、「工業化社会」から「脱工業化社会」へと

時代は変化していました。

この時代の変化に関しては、今までもよくお話して来ましたが、

技術革新IT革命グローバル化等により、製造業の労働は機械化、

もしくは安い労働力の確保できる海外へと移動してしまっていったのです。

また、残された製造業の労働者達には、労働はハードになり、

しかも減収するという過酷な労働条件が待っていました・・・


バドワイザーが賛美していた労働者像は、すでに時代に取り残されてしまい、

復活も期待できない状態になってしまったのです。

つまり、バドワイザーのブランドのメッセージが

ターゲットとしている層が弱まってきてしまったのです。

この状態では、従来どおりのメッセージでは効果は出なくなるでしょうね。


通常の企業なら、自己のブランドの保持に固執するでしょう。

ところが、 アンハイザー・ブッシュ社は様々な試行錯誤の後、

ついにブランドの価値を大きく揺るがしかねない変化へと向かうのです。

それが、次にお話しする「トカゲ」シリーズのCMです。


「トカゲ」CM時代


一生懸命に働いても、減収してしまう多くの製造業の労働者の方々の

共感を得るアイロニカルなメッセージ。


(以下、引用)

「トカゲ」シリーズが視聴者の心をつかんだのは、

このCMが風刺を通じて米国の男たちに、認めたくない現実を直視させたからだ。

彼らは、伝統的な男らしさの概念にすでに見切りをつけていたが、

それに代わるものを見つけあぐねていた。

その彼らに「トカゲ」CMは単純な真実を示してみせた。

「あなたはヒーローではない。社会がそう認めてくれないからだ。

しかし、それがどうしたというのか。もうプレッシャーはない。

自分が置かれた状況のばかばかしさを楽しめばいい。

脇から眺めて楽しめばいい」

(以上)


トカゲに動物の世界を舞台に話させることによって、

やわらかく間接的に鋭い社会風刺を行ったのです。


「ワサップ!?」CM時代


ワサップ=wassup!?=Whats up!?=「どうしてる?」の意味。

この言葉を都市部の5人の黒人青年が話すシリーズ。


このCMシリーズの特徴は、都会で気ままな生活を楽しみ、

独自のライフスタイルと言葉を持っている黒人に焦点が当てられました。


(以下、引用)

都会のブラックカルチャーが、ヒップで自由な精神を象徴してきたのに対し、

白人中流層の男性は生真面目でおとなしいキャリア世界の住人として

示されてきた。

都市部の黒人男性は、人種差別に立ち向かうアイロニックな

カウンターカルチャーをつくり上げたことから、

白人の目には、追従と道具的役割を求める米国のイデオロギーの圧力から

逃れることに成功したように映っていた。

それゆえに都市部の黒人男性像は、

反逆的な男性神話に格好のポリュリスト世界とみなされたのだった

(以上)



このバドワイザーのブランドの大変化!


かつての熟練労働者を賛美していたメッセージ」から、

アイロニカルな風刺」へ、

そしてアーバンブラックカルチャー」へ!


大きな社会構造の変化の中で、自社のブランドの保持に固執せずに、

時代に対応して変化したことにより、

バドワイザーは今でも多くの人に飲まれ、生き残り・・・

そして、日本で私も飲んでるのです(笑)


きっと「熟練労働者を賛美していたメッセージ」のまま変化しようとしなかったら、

バドワイザーは生き残れなかったかもしれませんね。


バドワイザーの事例は、社会変化に応じてブランドを変化させた例としても

参考になりますし、またこの変化は、

音楽においても同様のことが言えるのではないか、と私は思っています。


音楽の歴史の中で、ロックンロールという大きな物語は、

バドワイザーの変化の歴史でいうと、

熟練労働者を賛美していたメッセージ」の時代に重なると思います。

かつてのロックンロールから、

特に90年代に入ってからのヒップホップの流行とともに、

多くのロックやダンスミュージックのアーティストが

ヒップホップ的要素を取り入れて、ヒットさせました。

これは、バドワイザーでいえば、

アーバンブラックカルチャーの時代と重なるでしょう。

日本ではドラゴンアッシュとか90年代に凄く受け入れられましたし。

ケミカルブラザーズとか、最近ではマイロとか、

私が好きなアーティストにもこの感覚があります。


そして、小室哲哉 さんは、この時代の変化に対応できなかった、

とも言えるのかもしれません。

小室さんには、80年代から90年代にかけて、

従来のロックというものを超える存在としての画期的なスタンスがありました。

ところが、そのスタンスも高度経済成長期の社会での「大きな物語」

(社会全体が同じ目的に向かって同じ大きな物語を分かち合う感覚)

であることには変わりなかったように思うんですよね。

1993年に書かれた彼の名著「告白は踊る 」には

今でも素晴らしい内容はたくさんありますが、この本の中でも、

彼が大量生産大量消費社会のスタイルをとっていることがわかります。

そして、その大きな物語の時代は終わっているのです。


5月8日 に「巨人戦 プラチナチケットの大暴落 」に関してお話しましたが、

プロ野球において巨人の人気がなくなり、視聴率が低迷してしまったのも、

同じ要因が含まれているのではないでしょうか?

「大きな物語」の終焉・・・


小室さんも、巨人もバドワイザーのブランド戦略から学べることは

大いにあるのではないでしょうか。