とある俳優さんがインタビューで言っていたことが、今でも印象に残っている。
「とってもいいことを引き寄せたら、それと同じくらいの大きさのネガティブなこともくっついてくる。ちょっとしか動かないんであれば悪いことも起きない。どっちがいいかは自分が決めることだと思う。」
このことで、評価を受けるということについても言及しているのではないだろうか。
演奏が終わった瞬間に、一対多数であった関係も終わる。多数(聴衆)は肯定と否定に分かれる。
そしてそれぞれの感覚の違いを認めるか否かのレベルですまない事態も起こる。
演奏者に関する「肯定」か「否定」が、聴衆のあいだで交わされた意見交換ののち、
演奏者にバックしてくる場合だ。
演奏は当然のことながら消滅しているが、
聴衆が自分の感覚を証明するために
言葉でそれを蘇らせようと試み始める。「肯定」でも「否定」でも。
演奏者はちょっと面食らう。
どういうわけか、「否定」の声はよく響いてはっきりと入ってくる。
ふたつの派にわかれた後の聴衆にとって、自分の人格は決められてしまっている時もある。
自分のミスを悔いていないやつ、と思われる場合だ。
演奏中にすでに、うまくできなかったら自覚するし、忘れることは無い。反省点は本人が一番よく知っている。
ただ「否定」は「肯定」との議論を通して、こんどは演奏者に「否定」の存在価値を認めさせにくるので、
演奏と関係がなくなっていることもある。
「肯定」はやわらかく穏やかな場合が多い。たぶんそれも演奏者の手を離れた効果であって、
音楽という存在がそのひとを癒したからなんだろう。
大勢のひとに聴いていただいたときはこんなふうに、評価も
「大きく」なる。