そのトッチャン坊やこと出川哲朗は、
バスの車内に入るなり、
私の一つ前の席に座った。
出川は座るなり、窓ガラスにべったり顔をくっつけて、
外を見て誰かをさがしているようだった。
そしたら、こんな夜中発のバスなんて、
だれ一人見送りにきてないのに、
そのトッチャン坊やだけ、親父らしき初老のオッチャンが、
見送りにきているではないか。
プシュー
と、ドアが閉まった途端、オッチャンは、
出川に向かって両手を上げて、
大きく振りはじめるではないか。
まるで戦場に向かう息子を送り出す、
造り酒屋の親父みたいな感じだった。
まあ、いいじゃないか。
微笑ましい光景じゃないか。
体調の悪化に緊張感が高まる私の心に、
ポッと灯がともったような気がした。
たとえ、トッチャン坊やが格安バスの乗客相手に、
優越感を抱いたっていいじゃないか。
そんな光景も、私の寂しい旅にそっと花をそえるってもんじゃないか。
なんて、いい気分に浸っていたのだが、
それとは裏腹に、私の体調は悪化の一途をたどっていた。
体の芯から震えが来てまともに動けなくなってきた。
これはもう39度はあるんじゃないか。
私はどうすればいいんだ。
パニック寸前だった。
...かといって、バスに乗り込んだ今、
どうすることもできない。
今できるのは、さらに薬を飲むことくらいだ。
そう思って、座席の足下に置いたバックから、
追加の薬を取り出そうとした。
しかし、夜のバスだ。
暗くてよく見えない。
だがバッグの中を探すのに、手探りだけでは無理だ。
そう思って、さらに身を屈めてバックの中を覗き込もうとした、
その時...
ズガーーン!!
「イッテーー!!」
一瞬何がおこったのかわからなかった。
確かなのは、脳天に激しい痛みが走ったこと。
そして、叫んだのは私自身だったことだ。
頭を上げて体制を立て直そうとしても頭がなにかにつかえて無理だった。
どうやら、出川が勢いよくシートをぶち倒し、それが私の脳天を直撃した模様。
それでもなんとか頭をひっこぬくと、
目の前にはトッチャン坊やのスポーツ刈りがあった。
そして彼は、こっちを向き直りもせずにこう言った。
「スンマヘン」
いやいや、そりゃないだろう出川哲郎。
旅の一言英会話集にも
シートを下げてよろしいですかくらいあるだろう。
わかった、もしテキストの最初に出てくるそのセリフを
わすれていたのだとしよう。
誰にでも間違いはある。
君が関西弁なのも許そう。
せめて、僕の目を見て謝ったらどうだ。
そんな意味も込めて私は出川に向かってもうもう一度言った...
「いったいよー」
すると出川はふたたびこっちにつむじを向けたまま
「スンマヘン」
はぁーもうこれだから大阪はいやだ。
いやいや、大阪に罪はない。
トッチャン坊やこと出川が悪いのだ。
いや、出川哲朗も悪くない。
目の前にいるスポーツ刈りの、
トッチャン坊やがいけないのだ。
とまあ、深夜のバスの中でブチ切れそうになったのだが。
病に冒された体じゃ無理。
僕が怒りを抑えればいい。
悲しむのは僕だけでいい。
そう自分に言い聞かせ、
唇をかみ締めながら、眠れぬ夜をすごしたのだった。
みなさんもシートを倒すときは一言沿えよう。
「May I recline my seat?」
そして、薬の用法・用量はきちんと守りましょう。
次の旅へつづく
(タイでは駅弁も、もちろんガパオ↓)


