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あるアジア旅行記

アジアでの旅の体験や、アジア料理に関すること、その他を書いております

日本でかつて活躍したであろう廃車寸前のバスで、

悪路を600キロ超にわたり走破しようとするものだから、


バスのタイヤが5回パンクしたり、


お約束の土砂崩れで、


踏み外せばガンジス川の激流に呑まれる崖を歩かされ、

命からがら、桃源郷フンザの入り口、

「アリアバード」という村に着いたんです。




そこは、普通のアジアの田舎町で、

さらに現地の「スズキ」と呼ばれる、


軽トラの荷台で
乗り合いタクシーで20分ほど山道を登ったところに

目的地のカリマバードがありました。

中東の地名には、バードという呼び名がよくつきますが、

~の地という意味だそうです。


パキスタン首都のイスラマバードは、

イスラム ア バード で、イスラムの地という意味。

カリマバードは、

カリム ア バード で、カリムの地という意味だそうです。

カリムとはかつてこの地を治めていたカリム氏という王がいたそうで、

カリム氏の土地という意味だそうです。

今でも、この周辺には子孫と思われる、

「カリム」という名字の方がたくさんいます。


そんなこんなで、念願の「カリマバード」についたんです。

それはもうとんでもない絶景で





もう、それだけでいい。

なんて、思っちゃうのですが。


こんな感じの、ゲストハウスと呼ばれる安宿で、





何もせず、1週間くらい本を読んだり、

旅行者や現地の人々と、ゆったりとした時間を楽しんでいました。

本当に幸せでした。


しかし、


飽きるんです。


絶景もただの田舎町としか感じなくなってしまい、

やることないなー、

んー、トレッキングでもすっかなー、


みたいなノリで、カリマバードの村はずれにある、

「ウルタルトレッキングコース」に、

フラっと出てみることにしたんです。



このカリマバードという村は、

とても親日的で、村のあちこちに日本語の看板があったりします。

日本語を話せる人も多い。


それは、有名な登山家の長谷川恒夫さんという方が、

1991年にこの村付近の山で雪崩に遭遇して遭難死され、

長谷川メモリアルスクール


という長谷川氏の奥様が建てた学校があるからだったのです。

この山奥で、非常に高いレベルの教育をしているらしく、

難しい試験に合格しなければ、入学できないのだそうです。



宿のオーナー(パキスタン人)も、

日本語が流暢だったので、

「ウルタルでも行ってくれば」

ってことになって、

「じゃあ行ってみるかっ」

ていうことになったのです。


カリマバードには、

バルティットフォートという、

城跡があり、



この城跡の裏側の谷の部分が、

トレッキングルートになっている、

ということでした。


当時私は、7、8回富士山に登頂し、

ネパールではアンナプルナ5日間のトレッキングコースを、

難なくこなしてきたこともあり、


トレッキング技術と脚には自信があったため、

特に気負いもせずに、

ちょと散歩にでも行くか、

という感じで、ウルタルトレッキングに単独で出発したのです。


ウルタルというのは、8000メートルを超える山の名前で、

その中腹まで行こうというのが、

このトレッキングの目的。


目印は、ウルタル山の隣にある、

「レディースフィンガー」

と呼ばれる山。



はじめて聞いたときは、女性の指っていう意味だと思い、

「ちょっぴりセクシーな響きの山だな・・・」


などと思ったのですが、


基本的に、

レディースフィンガーは、

「オクラ」

あのネバネバするオクラの意味だそうで、

女性の指に形が似てるからなのでしょうが。


その名称が急にダサく感じ始めてしまった、

「オクラ山」めがけて、トレッキングに行くことにしたんです。


安宿にあった、

こんな地図だけをたよりに

丁寧に手書きされた地図だけをたよりに

まさか自分がフラっとスタートした、

ウルタルトレッキングコースが、

世界的登山家、長谷川恒夫氏の命を奪ったコースと同じ、

だったということを、トレッキングの休憩中に開いた、

ガイドブックで知ることになるとは思いもしなかったのです。


これが登山道・・・↑


つづく

ガイドブックでは16時間と書かれていた、

砂漠のバスの旅も、


度重なるパンク修理で大幅に時間を延長することとなりましたが、

よぼよぼのジイさんドライバーのドラテクで

20時間かけて、なんとか

バスの目的地ギルギットに到着しました。



到着から2日間、山羊肉のあやしい煮込みとバスの旅で弱った体の回復を待って、

僕は、この旅の目的地であるフンザに向かったんです。


バスステーションで、フンザ方面行きのバスを探していると、

2人の若い男が、

「Come on!  Come on!」

って言って、僕を呼んでいるんです。


この旅は、インドからパキスタンへと入ったのですが、

インド人で話しかけてくるヤツはみんな騙てくる人ばかりでした。

ニューデリーのメインバザールで話しかけられたから、

「Tシャツ探してるんだよね。」

って言ったら、

「OK!  OK!」って言うから、

ついていってみたら、

変な、絨毯ショップの個室に閉じ込められて、

「ドゥユーノー、マジカルカーペット?」

って、危うく魔法の絨毯を買わされるところでした。


でも、パキスタン人は、宗教のためか、

誠実な人が多く、困って道に迷っていたりしたら、

親切に車に乗せて連れて行ってくれるような、

いいヤツばかりだったんです。

パキスタンでは、結構ヒッチハイクができるんです。



だから、フンザ行きのバスを探してる僕に、

声をかけてくれた2人の男も、

すごくいいヤツそうだったので、

「サンキュー、サンキュー」

と、言いながら彼らについて行き、

フンザ行きだと教えられたバスに乗り込んだんです。


すると、僕が自分の席に座ると、

2人の男は、僕を囲むように隣の席に座ったんです。

そして、右側の彼が僕に

「ショウミー、パスポート」

と、言うんです。


別にやましいこともないし、

親切な彼らだし、

日本人が珍しいんだろうと思い、

パスポートを右側の彼に手渡したんです。


すると、ヤツは私のパスポートの1ページ目を開くなり、

僕の顔写真にビッグなキスをするではありませんか!!

おいおい、やめてくれよ、

そういうことか。

親切に、してくれたのは私の体が目当てなのね!


その後もヤツは、私がこれからフンザに向かうって言うのに、

「これから、ウチにこないか?」

みたいなことを言い出す始末。


今になって思うのですが、

アラブ・イスラム圏で、ヒゲを剃っている男はゲイかもしれません。


偏見を生んでしまうので、

これは私だけの見解として申し上げますが、

たぶんそうだと思います。あとでそう思いました。


そんなこんなで、フンザ行きのバスは、

2人の親切なゲイを吐き出し、

無事出発したのでした。


ただ、ギルギットから、フンザの入り口、

アリアバードという村まで3時間と言われた道のりも、

お約束の土砂崩れで道がなくなり、

左手は断崖絶壁、右手は激流のガンジス川という、

土砂の上をビーチサンダルで歩かされ、

なんとか6時間ほどで、

フンザに着くことができたんです。

それはもう雄大な景色に圧倒されましたが、

贅沢なもので、それも数日で飽きてきてしまい、

トレッキングでもするかなぁ。。。


なんて、思ってしまったのが、

まさか自分の命を脅かすとは、

この時には思いもしなかったのです。


つづく

旅って癒されに行くって言うのが本質だとは思うんです。 


ただ、放浪スタイルだったり、

一人旅だったりすると、

新しい文化や、旅先で人に出会うことで、

自分の内面が活性化されます。 


ただ、そういうスタイルの旅は結構疲れますので、 


友達と一緒に温泉につかって、「ああ、気持ちいいな」と言うのとは、 


若干違うとは思います。

でも、まあ癒されます。 



世界には、バックパッカーが愛する、

沈没地って言うのがあります。

沈没って言うのは、観光などあまりせずに、

一つの街や村に何週間、何か月も滞在する旅のスタイルで、

そんな居心地のいい場所が沈没地って言われています。


それも人によって、タイのカオサンロードや、

ネパールのカトマンズ
みたいな、

ごちゃごちゃしてるけど、

なにかと、何でもそろうっていうところが 
好きな人と、 


僕みたいに、大自然に囲まれてて、

トレッキングくらいしかやることがなくて、
 

それも1、2日で終わってしまって途方に暮れるのが好きっていう、 

若干オカしい人も居るんです。


 

旅人の中でも自然の多い、有名な沈没地では、

ネパールのポカラとか、

ラオスのドンデッドという島なんかなんですが、 


2009年の僕のパキスタン旅行も、

フンザっていう、

風の谷のナウシカさんのモデルになったとか、 

そこまで宮崎さんは、はっきり断言してないとか、

言われている場所なんです。 



基本的にパキスタンの人たちは親しげで優しいんですけど、 

ニュースで伝えられている、

イスラム原理主義だとか、自爆テロだとかは、

パキスタン南部から北西部のアフガニスタン国境付近の話なんです。


北東部のフンザ地方は、中国の新彊ウイグル自治区に近く、

イスラムの戒律も緩くて、性格もさらに温厚。 

顔も、いわゆるアラブ系やインド系というよりは、

トルコ人などのちょっとヨーロッパ入ってる系でした。


フンザの中心地カリマバードは、

四方を7~8000メートル超級の山に囲まれ景色は最高。 
 
本当にゆるーくて、天国のようなところなんです。 


そこで、さっさと命がけのトレッキングを終えて闇雲に2週間以上、 

何かをしてたんです。何をしていたのか思い出せません。 

何もしてなかったのかもしれません。

とにかくそういう時間って日本じゃなかなか無いですから、 

それがすごい癒しになったりするんです。 


ただ、こういう天国みたいな場所に来るには、

一つ大きな問題がつきまとうもんなんです。



静かな場所になればなるほど、僻地にある。 


逆に言ってしまえば、ポカラとかドンデッドって言うのは、 

そこまでの道のりもある程度観光地化されているか、 

地形上そこまで険しくないため、たくさんの観光客でにぎわっております。 


しかし、フンザは違う。パキスタンっていう国がメディアのせいで、 

危険な国だというレッテルを貼られていることを抜きにしても、 

圧倒的に観光客が少ない。 



その理由の一つが、

貧乏旅行者には本当に面倒くさい場所にあるって言うことです。 

パキスタンにはイスラマバードって首都があるんですけど、

そこから、
フンザヘのバスの乗り換え地点となるギルギットっていう町まで、 

600キロ超の山道で、ほぼ未舗装道を超えていかなければならないんです。 


僕は、たった3週間の短期で、フンザを目的地にしているもんですから、
 

往復しなければならないんです。 

普通の旅行者は、インドから入って中国に抜けるか、

その逆です。


まあ、バスが片道2000円くらいで、

飛行機でも5000円くらいですから、 


貧乏な自分が悪いんですけど、 

旅行中特有の、大丈夫だろ的なノリで、

バス往復をすることにしてしまったんです。 



ガイドブックにはイスラマバードからギルギットまで、

16時間って書かれてまして、 

「シルクルート社というバス会社がエアコン付きの高速バスを頻発」、 

とか言ってるもんですから、行きは即決でそのバスに乗ったんです。 


チケット売り場も活気があって、

いいから早く乗れって感じで言われて乗り込んだんです。 

で、いよいよ発車って言うところで、
 

クルターと言われる白い民族衣装に身を包んだジイさんが、

よろけながら乗り込んできたんです。


「ああ、ジイさんも長旅大変だな」とか思っていると、 

そのジイさん、運転席に座りだしたんです。 


「おじいちゃんそこは座席じゃないんだよ」、 

とか言おうとしたら、 


パラリラパラリラパラパラ♪ 





とかクラクションならしながら、早く乗りやがれてきなことを、 

そのジイさんが叫び始めたんです。 


おいおい、あんたががドライバーかい。 


これから長旅ですから、バスの外でお別れとかしてる男たちも居るんです。 

一方で 、


パリラパリラパリラ♫ 


ジイさんは容赦せずに発車、 


「お、おい、ちょ、ちょっと・・・まっっt・・・」

みたいな感じで別れを悲しんでた男たちがなだれ込んできて、 

そのまま、長旅スタートという具合になったんです。 



まあ、ジイさんも経験があるのか、

ハンドルさばき、エアブレーキさばきが、 


天使のように柔らかく
、山道の割に快適だなとか思ってたんです。 


ただそれも長くは続かなかった。 


夜8時くらいに出発だったんですが、 

深夜1時くらいに漆黒の森の中でタイヤ交換、 

車内一同、「えー」、みたいな。 

そんなことを5度ほど繰り返して朝になったんです。


乗客も学生の帰省シーズンらしく、 

どう見ても35才にしか見えない20前後の若者から、 

「アイラブジャパーン、ジャッキーチェーン、カンフー」といわれたり、 

「アイラブ、アンジェリーナジョリー、イズシー、ジャパニーズ?」とか、

「ヒロシマ、ナガサキ、バンザーイ」とか、意味が分からん。 


そんなこんなで朝になって決定的なことに気がついたんですが、 

「エアコンがない。」

地○の歩き方とちがうやん!、ってことで。
 

ドライバーが3度かわったんですが、
 

ジイさんが夜中にやたら休憩してたのは別によかったんですが、 

3番目の若手にかわってから、休憩が0回。 

そこはもう熱帯から、乾燥地帯になってるんです。 



水はもう底をつき、バスの運転席の横にはタンクがあるけど、 

日本人のやわな僕に飲めるんだろうか。 

まあ、結局、脱水症状で、フラフラきてたんで、 

気がついたらタンクの水飲んでたんですけど、 

その前から生っぽいヤギ煮込みにお腹やられてたんで、 

どこからどうなのか、水が良いのか悪いのかは、 

全くわかりませんでした。 

ただ、激しい腹痛に苛まれながら、耐え続けていたのは覚えています。


だったら、最初っからその水飲んでもええじゃないか。 


そんなこんなで23時間かけて、

ヒーコラヒーコラバヒンバヒンと、 

途中でバスも、「プスー、プスー」とエアが漏れながらも、 

なんとかギルギットにつくことができました。


そこからまた、タクシーとの金銭交渉でもめ、

なんとか自力で宿を探し、

ギルギットの夜は更けていったんです。


つづく。。。


ギルギットのバススタンド


ギルギット