20年の月日をかけ1978年に完成した
カラコルムハイウェイは
パキスタンの首都イスラマバードの北にある
あのウサマ・ビンラディン氏が射殺された
アボタバードを起点とし
最終的には中国、新彊ウイグル自治区の第2の都市
カシュガルまで通じている。
その長さは、約1300キロ。
おおよその距離を日本で例えるならば、
仙台から東京を通り越して博多まで。
アボタバードから数時間の距離と、
中国国内の部分を除き、
そのほとんどの区間は未舗装である。
小金のある旅行者は
イスラマバードからギルギットまで
飛行機で飛んでしまうのだが、
私たちのような貧乏旅行者は
超長距離バスだ。
ケツは最初から2つに割れていると言われているが、
4つに割れるとか割れないとか言われている。
カリマバードとパスーの間も
カラコルムハイウェイで結ばれているのだが、
当然のように未舗装の山道。
ハイウェイというのは高速道路という意味だと思っていたが、
ここでのハイウェイは単に標高が2500メートルくらいある・・・
ということらしい。
~・~・~・~・~・~・~
そんなわけで、パスートレッキングの起点として、
パスー村のはずれにある
シスパービューホテルに滞在することにしたんです。

シスパーというのはこのホテルの裏に広がる氷河の名前
その氷河がよく見えるということで、
このホテルの名前がついたらしいのですが、
氷河というのは日々動き続けていて
何年後か何十年後かには、
シスパー氷河が、このシスパービューホテルを
飲み込んでしまうらしい。
そんなホテルでした。
夕刻に到着した僕は、
スタッフのお兄さんと語らい、
床へとついたのですが・・・
翌日、部屋を出て、
庭に行ってみると
※グロ画像注意
牛の解体が始まっていた。
前日、ホテルの兄ちゃんと話していて、
「オレの親父の仕事はキラーだ」
って言っていたものだから、
お国柄もあるし、
あんまり突っ込まない方がいいかナ♪
なんて思っていたんですけれど、
牛キラーだったんですね。
目の前で、生きている牛のノドをかききって殺し、
あれよあれよという間に、
皮をはぎ、内蔵を取り出す。
あっと言う間にタライたっぷりの
ホルモンが出来上がり
子供もお手伝いに慣れているらしく
笑顔で記念撮影・・・
(ハエがすごい)
最終的にこうなりました。
調理師である僕にとっては
本当に興味深く、
ブロック肉になるまで
ずっと目をそらさずに見ていました。
気持ち悪い、グロいなんてどうぞ思わないでください。
日本でマグロの解体を、ショーとしてやっている方が
よっぽど、倫理を侵していると思います。
すぐそこに肉屋なんてないパスーの人々は
生きる為に動物を殺し
食べているのです。
しかし僕には、牛の解体に見入ってる時間はなく、
またさっさとトレッキングに出発しないと
日が暮れてしまうんです。
またもや、トレッキングルートの地図なんてなく
カリマバードで発見した手書きの地図をデジカメにおさえ、
それを見ながらトレッキングルートの入り口をなんとか見つけ
「パスートレッキングコースらしき道」
に脚を踏み入れたのです。
念のためにお伝えしたいと思いますが、
ガイドブックには、数年前に日本人が一人で
このパスートレッキングに出発し
2日ほど遭難した後、帰還したそうで
「くれぐれも一人で行かないように」
と、注意書きがありました。
かといって、ガイドなんてどこで見つけりゃいいんだ
注:カリマバードとか人のいるところで探せば絶対います、
ただ、ガイド料を払うだけのお金がなかった
という場所だったので、
ウルタルトレッキングで懲りたにもかかわらず、
自分の力を過信していた私は
また単独でトレッキングに出てしまいました。
パスートレッキングコースは
ウルタルトレッキングコースのように
山の頂を目標に進むものではないので、
急な勾配を延々上登り続けることはなかったのですが、
重大なミステイクが一つ
パスー氷河に触ることができる
と、ガイドブックに書かれていた為、
氷河→氷→溶ければ水→水が飲める
という不幸の方程式が成立してしまい、
飲料水を持参しませんでした。
やはり・・・
トレッキングルートなんてものは存在しないので
ケルンという

トレッカーが石を積んだもの
だけをたよりに進んでいったのですが、
なぜか氷河には近づくことはできず
延々と炎天下の元、脱水症状に苛まされました。
それにしても、
「ユンズバレー」と呼ばれる谷は
地の果てを連想させる絶景で、
人はおろか、動物すらいないところでした
どんなトレッキングも水は持参すべきです。
そんなこんなで、トレッキング中
唯一会ったパキスタン人から
なぜかファンタオレンジを分けてもらい命拾いをしました。
トレッキングのゴールであるカラコルムハイウェイが
近くに見えてきた頃に
そして、無事シスパービューホテルへ帰還したのです。
それでも僕は決めていたのです。
翌日は、パスーのもう一つのトレッキングコース、
「サスペンションブリッジコース」
に挑戦することを。




















































