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あるアジア旅行記

アジアでの旅の体験や、アジア料理に関すること、その他を書いております

2009年の夏


パキスタンのフンザを目的地とし

成田空港からキャセイパシフィック航空で、香港乗り継ぎし

インドの首都デリー郊外にあるインディラガンジー国際空港に到着した。



インドはこの時2度目で、


一人旅で一番苦労する、

空港から街までの移動手段と

最初のホテル探しの心配はしていなかった。


2007年にネパールに行った時にも

デリーのこのインディラガンジー空港に降り立ち

ネパールの国境を陸路で目指した。



当時、インドの空港は旅人の間で

ちょっとした危険地点として有名だった。



知っている方もいると思うが、

2006年の9月初旬、ある日の未明・・・

一人の慶応大生がインディラガンジー国際空港についた

入国手続きを済ませ、

空港内でインドルピーへの両替をしたところまで

確認はされているが、その後の足取りがわかっていない。




おそらくご両親が手を尽くされたのだろう。

地元の新聞でも一面になり、

日本でも報道された。

大々的に捜索されたらしいが

消息は今でも不明である。


ただ、この手の話はインドにおいて言えば、無数にある。


そして、その失踪事件以降のガイドブックでは

より厳しく注意が促されている・・・

「深夜に一人でタクシーに乗っては行けない。空港内で夜を明かすのが懸命だ」と。



日本からインドへ渡航する場合

時差や乗り継ぎの関係で

どうしても深夜から未明の到着となる。


日中は、空港からニューデリー駅近くまでバスが出ている。

一人でバスに乗っても、スリ以外のトラブルには

まず合わないだろう。


(ただ、ここ1、2年の報道だと、旅行者、地元民関わらず、

女性がバスの中で暴行される事件があるので、

女性でインドに一人旅を考えている方は

空港で男の外国人旅行者に声をかけ、

一緒に街まで出ることをおすすめする。)



しかし、深夜にはバスはない。

そうなるともうタクシーしかないのだ。


日本の成田空港もそうだが、

空港は郊外にあることが多い


バスも列車もなくて、徒歩では街まで遠すぎるとなれば、

朝まで空港内で夜を明かすか、

やはり、悪名高いタクシーを使うしかない。


もちろん、タクシーすべてが悪いという訳ではない。

空港内のカウンターで手配できる、少し高いが、

手配票のある公認のタクシーもあるし、


運転手に自分から声をかけた場合は、

ほぼ安全だと言えるだろう。




だが、長時間のフライトから解放され、

また緊張の入国審査や荷物のチェックも通過すると

少し気が抜けてしまう。


そこに来て入国者出口には、

深夜にも関わらずインド人の人だかりだ。




おそらくそのほとんどが、

おそらくその半分近くが、

悪徳旅行代理店だ。


タクシーに連れ込み

自分のオフィスに監禁し

法外な値段のツアーにサインしないと



解放されない。


入国者出口で声をかけてくる

無数のインド人をかき分け


空港の外に出ると、



今度はまた、悪徳タクシードライバーの群れだ。




タクシーメーターなんてなく、

彼らは、ニューデリーの街までの運賃として

法外な値段をふっかけてくるが、


こっちが難色を示すと

価格を落としてくる。


「もうつかれたし乗ってもいいかな・・・」


と、思って乗り込んでしまったら終わり。


最悪の場合は、身ぐるみを剥がされ命までとられ

"missing list"に名前が追加される。



そして、デリー市内のホテルに張られている

「この日本人が行方不明です」

というポスターに載ることになる。


発見されることはまずない。


空港のタクシー乗り場↓



~•~•~•~•~•~•~•~•~•~•~•~•~•~•~•~•


2007年にネパールに行ったときも

やはり同じくデリーの国際空港に

深夜2時頃、降り立った。


ガイドブックでのインドの悪評から

僕は、空港で一夜を明かすことを決めていた。


日があけてから、バスに乗って市内に出ればいいではないか。



そう思い、入国審査の列に並ぼうとしていた。


目の前でよそ見している中国人らしき眼鏡をかけた

太めの男の前に行列ができていた。



僕は、その男の前に並んだ。


そうするとその男は、



This is line.


と言って、僕に列に並ぶように言ってきた。




僕は、「Sorry


と言って、列に並んだが、

彼の手元を見ると、バスポートは日本のものだった


いくら、空港で夜を明かすと心に決めていても不安だった僕は、

彼に、

日本人ですか

と訊いてみた。


すると、彼は意外にも気さくな感じで、

そうです!あなたも日本人ですか!

と答えてくれた。


これから自分は空港で夜を明かそうと思っている

という話をすると、


彼はなんと数回インドに来ているらしく、

ヒンディー語もできるということだった。


そして

こんなところで、夜を明かすことなんてないですよ。

知り合いが空港まで迎えにきてくれますから、

良かったら一緒にニューデリーのメインバザールまで行きますか?


と言ってくれた。


救いの神が現れた・・・。

そう思った。


今でもその時のことは心から感謝している。




ただ・・・その男の「本性」はとてつもなく醜くく

恐ろしいものだった・・・。





つづく



インド入国にはビザが必要。

日本のインド大使館で事前にビザを取得しましょう。



旅の目的だった、パキスタンの桃源郷フンザでの滞在と

うっかり挑んでしまった、

3つのトレッキング







を無事に終え、

カリマバードを後にした僕は

また、超長距離バスへの中継地

ギルギットに来ていた。

ギルギット

イスラマバードからここへ来た時には、

ガイドブックに載っていた「シルクルート・トランスポート

という、民間のバスに乗ってきたが



エアコンはついていないし

パンクは何回したか覚えていない

とんでもないバスだった。


フンザに着いてから

地元の人に聞いてみると

NATCO(ナトコ)

The Northern Areas Transport Corporation (NATCO)

という

政府のバス会社が、圧倒的に高級で高速なバスを使い

古くなったバスを、シルクルート社など

民間のバス会社が買い取り使用しているのだと言う。


驚くのは、NATCOも民間も料金が一緒ということだ


ではなぜ、それでも民間のバス会社にも乗客がいるのか。

それは、やはりカラコルムハイウェイ

パキスタン北部の人々にとって唯一無二の生命線であり、

NATCOのバスは予約ですぐに一杯になってしまうからだろう。


ちなみに帰りはNATCOを使用した。

一回もパンクをしなかったが

冷房が効きすぎて寒く

スピードが速すぎてケツが痛い。


シルクルートのスタッフは

フレンドリーで、ドライバーは

よろけたジイさんだったが、


NATCOのドライバーは

夜行バスなのに

ティアドロップのグラサンをかけた

ジャンレノ的な殺し屋風の

男だった。


次に行く時はシルクルートでも

いいかなとおもっている。



カラコルムハイウェイは

その名の通りカラコルム山脈という

世界第2位の標高を誇る山「K2」を擁する

山岳地帯につくられている。


だから、パキスタン人も外国人旅行者も

カラコルムハイウェイを利用して

移動するしか方法がないのだ。


いくらパキスタンの北部は平和だとは言っても

国家レベルでは、米国との激しい対立が続いている。

当然、パキスタン軍は外国人を見ればテロを警戒する。


だからか、カラコルムハイウェイを約600キロ移動したときも

5、6回はパスポートチェックと言われるものがあった。


バスから外国人だけがおろされ

検問所でパスポートを提示しサインをする。

それの繰り返しだ。


検問所にいる警備兵は

みんな優しいのだが

当たり前のように機関銃を肩にかけている。


時には、

お前は、イスラム教か?

と聞かれ

いや、一応仏教徒だ

と答えると

やめておけ、イスラム教が一番いい

と言われ、少し考えてしまうが、

そうかもしれないな

と、答えるようにしている。



そういえば、

日本からインドのデリーに飛行機で降り立ち

パキスタンの国境に陸路で向かう中、

「めんどくさいし、悪いヤツが多い」と

悪評が高い北インドの人々も、

両手を合わせ「ナマステ」と

挨拶をしてから道を聞いたりすると

親切にしてくれない人はいなかった。



パキスタン国境までは、デリーから汽車を使い

ターバンを巻く人々「シーク教」の聖地黄金寺院のある

アムリトサルまで行ったのだが

デリーはいい意味でも悪い意味でも、

観光客慣れしており、話しかければ無視はあまりされない


しかし、アムリトサルは外国人を見かけること自体少なく

パキスタンとの国境までは、自力で路線バスに乗り

その後タクシーを捕まえなければたどりつけないという。


なのに、アムリトサルでは英語を使えない人も多く

道を聞くのに苦労した。


だが、ナマステと挨拶をすると

英語を話せない人も、英語を話せる人のところまで連れて行ってくれたり

知っている少ない英単語を駆使して応えてくれた。


なんとかインドとパキスタンの国境を越えても

また国境からラホールという町まで

自力でタクシーを捕まえてたどり着かなければならない。


とりあえず、どうやったらタクシーを捕まえられるかを聞くのにも

インドでやってきたように

両手を合わせ「ナマステ」と言うと


ここはイスラム教だ。やめろ

といわれへこんだ記憶がある。



だが、インドに比べれば圧倒的に観光客が少ないのか

町中でタクシーを捕まえようと立ち止まっただけで

あちこちから男衆が湧いてきてあっという間に人だかりになる。


まるで、スターになったかのようだった。


宗教柄女性がよってくることは一度もなかったが、

パキスタン人は都市部も地方部も人がいいのは間違いないと思う。


そういえばさっきからタクシーと言っているのは

これのことだ↓



乗っているのは国境で一緒になった、

スペイン人姉妹

オクサナ48歳とエレナ45歳

オクサナは勝ち気の美人

エレナは太めのおばさん

ラホールで1日モスクの観光に同行したが、

外国人女性というだけで

男衆に囲まれる。

モテモテだ。


イスラム教徒の一部の男の中には

よくない考え方があるらしい。


イスラム教の男は、

イスラム教の女性にむやみに

声をかけたり、触ったら罰せられるが、


仏教やキリスト教の女性には

手を出していい、そんな無茶苦茶なはなしもある。

実際、フンザでも、マッサージと言って

破廉恥な行為に移行して行くという

体験をしてしまった

日本人もいたようだ。


そして、そういうことをやったんだと

自慢をしてきたパキスタン人の

男もいた…。



このバイクタクシー。

タイではトゥクトゥク

インドではオートリキシャーとよばれている。

車というより、人を乗せられるバイクだ。



インドと言えば、

独特の文化や問題こそ持っているが

経済的な成長著しい国家として注目されている。



どこの国に行っても首都の

メインとなるショッピングエリアは

国の顔となっている


例えばタイのサイアムスクエア




上海の浦東新区




ニューヨークのタイムズスクエア




東京の表参道




そして・・・

インドのニューデリー駅前

パハールガンジバザール











インドってやっぱりすごいワ♡


つづく

パスー氷河トレッキングの


「ユンズバレー」という平原で


脱水症状にくるしめられながらも、

ひとりのローカルピーポーがわけてくれた

ファンタオレンジによって


一名をとりとめた僕は

ヒッチハイクを利用し

シスパービューホテルに帰還。



「さぁカリマバードにでも

帰えっぺか」



というところだか、

パスーにはもうひとつの名所

サスペンションブリッジ

と呼ばれるものがあった。


「サスペンションブリッジって

なんだべ」


と思ったが、

とりあえず、

宿のお兄ちゃんが、

そのサスペンションブリッジに

通じるトレッキングコースの入り口まで

つれてってやるということどったので、

お言葉に甘えて、

へんな、明らかに危険な崖を

下る道に降ろされた。



このトレッキングコースは、

やはりなめてかかると、

とんでもないコースで、

なにが大変かって

どこもそうだが、

パキスタンのトレッキングコースには

地図がない。


だからまた私は道に迷い。

結局、脱水症状になる。

パスートレッキングの教訓を得て

飲料水は持参したので

致命傷にはいたらなかったが


どうしても道に迷うので

トレッキングに費やす時間は延長され

結局、神経をすり減らすことになる。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・



そして突如、目の前に現れたんです。





崩壊寸前のアトラクションが

村人達の生活を支える吊り橋が





どこの国にも観光名所になっている

吊り橋っていうのはあるものです。



例えばカナダのキャピラノ吊り橋




静岡にある夢の吊り橋



など


死ぬまでに一度は渡りたい世界の徒歩吊り橋10
http://www.tripadvisor.jp/TripNews-a_ctr.SuspensionBridges


ですが・・・

ランクインされていない

パキスタンが誇る




「フサイニ吊り橋・・・」

右側のやつ一回壊れてるやん・・・

なんで、同じもんつくるん・・・


渓谷ほどの高さはないが、

下を流れる川は激流



景色としては絶景だが・・・




やっぱ、危なすぎるんじゃない?


私が、この吊り橋を渡ろうとしたとき

地元の少年達が度胸試しのようなことを

やっていました。


「コノ吊リ橋ヲワタッテ、戻ッテキタラ一人前ダ!」


みたいなかんじで・・・。







そんな訳で、無事にまたカラコルムハイウェイに帰還し

ヒッチハイクとジープで

カリマバードに帰ったのでした。


つづく