意欲(運動の) | 動きの哲学、日常のヒント

動きの哲学、日常のヒント

ピラティス、ストレッチ、ヨーガ、武道などの学びと想い。ピラティスの還暦男インストラクターが20年考えたこと

こんにちは。

健康ストレッチ&ピラティス講師の、後期アラフィフようすけです。

 

一か月ちょっと更新をしておりませんでした。

 

すっかり師走のお天気の日々となりましたが、日によって日中は暖か陽気の日もありますね。

12月14日、今日はこの時刻、朝どんよりと曇って寒々しいですが、日中は15度ぐらいまで上がりそうです。

 

 

 

前回更新してから、11月初旬に、母が頭を打って救急搬送されるなど、バタついておりました。

私自身が、足の小指をぶつけた骨折は順調で、整形外科の先生がレントゲンを撮るのを楽しみにしている様子です。

気のせいかもしれませんが。

まだ、ちょっとだけ赤いけどね。(^▽^)/

 

 

 

 

さて、今日の話は

「運動には、思いのほか、意欲が大事です」という話題です。

 

私が自分のクラスで心がけているのは、たとえ一斉にキューイング(運動の合図、号令)をかけて動きを行う時でも、参加者本人が「きつく」感じたときには

 

動きをやめて休んでもらう。

休んで、力が出せそうになったら動きを再開してもらう。

 

その形でやっています。

当たり前かもしれませんが、これは意外と全体の空気感にも左右されます。全員が頑張っている雰囲気のクラスは、「自分も頑張らなければいけない」心持になります。ですので、クラスの雰囲気を含め、マイペースにしやすいようにします。

 

 

なぜなら、人というのは、思いのほか「根性」があるものだからです。

つい頑張って辛さに耐えてでも、トレーニングに取り組んでしまうのです。

 

これはこれで、向上心があっていいのですが、ところが、果たしていい事だけでしょうか?

 

 

結論として、私の意見を言えば、いいこともあるのだけど、大抵の場合は、ガムシャラに努力をはじめると、

人の意欲は「辛さを克服する」ことだけに向きやすくなる。私はそう見ています。

特に、われわれ日本人はとっても真面目だから、よりいっそうこの状態になりやすいのです。

 

しかし、そうなると、その運動の本来のテーマをわすれてしまうことが、頻繁に起こりますね。

たとえば、こんな ↓ エクササイズでは、次のようなテーマがあります。

 

 

 

〝足の重さに引っ張られずに、背骨のニュートラルな曲線(ちょうどいいS字アーチ)を保ちましょう〟というテーマだったりします。

 

しかし、エクササイズを「やり遂げる」ほうに意識が向かうよう根性が発揮されてしまうことが、多々あるのです。

 

私がインストラクターとして新米の頃は、特にこのことが起こりました。

 

とりわけ、運動神経が良いピラティスの初心者の場合に多く起こった。

 

私自身が未熟であるがゆえに、違う種類の意欲を持たせてしまい、その状況を、うまく私の言葉で軌道修正する術、修正してあげるボキャブラリーの貧困さに、自分自身にいらだったものです。

 

 

ピラティスでは、神経ネットワークを育てることがキモになってきます。

ピラティスに限らず、多くの運動アプローチで、それは言えます。

 

結論は、体を健康的に動かしつづけるためには、神経のネットワークを育てて保持していく必要があり、そのためには「こう動かそう、ああ動かそう」という意欲が必須ということです。

単に、ガンバリだけでは、どうにもならなくなってきます。

 

 

やっつけでやると、時間が無駄になります。

 

 

 

ですから、元気で頑張りすぎず、頑張りましょう。

 

生活の中でも些細なところにでも楽しみを見つけると、即、体の動きにつながってくるものですよ!

意欲とは、ふしぎなもので、ちょっと気持ちが前向きになったり、安心したり楽しみをちょっと感じただけでも好転するものですね。そう感じませんか。

 

先日、ひさしぶりに「むさしの森 珈琲」に行って、ロコモランチと、名物パンケーキのセットを食べましたら、けっこうパンケーキのふわふわ感が美味しく感じました。

 

  

 

 

ではでは。

風邪ひかないようにね。

適度に散歩して、野外はマスクを外し、ビタミンD産生!

体温保持、歯磨きもわすれず。

ではでは。

ごきげんよう。

またお会いしましょう。