セルフエフィカンシーという言葉がありまして、どういう意味かと申ししますと、これは、「出来る感じ」のことであります。
体を動かす運動についてもこれは言えるのであって、健康を維持するための運動を継続するためには、セルフエフィカンシーが重要な要素だと、厚生労働省でも提唱されています。
要は、自転車に乗る練習で、補助輪なしでも「乗れるのだ」という感じが大事である。そういう感覚だと思います。
一回出来ると、次からは乗れない気がしない。それで、乗れる状態が継続して乗れるようになりますよね。
新規の方でも「体が硬い」というのが口癖になってしまっていることがよくあります。一部分謙遜であったり、ネタであったりもしますが、やっぱり「ついていけないと嫌だな」「周りに申し訳ない」「みっともないかもしれない」というのがありまして、「私、言っておきますけど、めちゃ体硬いですよ!」と宣言してから運動が始まる方が、意外なほどいらっしゃいます!私は、全然気にしませんけどね。
「ついていけない」不安は、休み休みでも周りは気にしないので、大体は問題ないということで、結局安心して運動に取り組む様子が見られます。もし、めちゃめちゃ体硬い場合は、またそれなりの取り組み方があると思いますし、いいと思います。
ついでに申しますと、いろんなちょっとしたエクササイズが(バランス系)などは、またまた出来ても「出来る感じ」につながり、後はぐんぐん出来ることもある。
私はもともと格闘技を見るのが好きで自分でも柔道はやっていましたし、三十の手習いで総合格闘技をかじった感覚では「まぐれ勝ちでも自信につながる」実感がありますから、運動全般でちょっとした動きでも、そういう部分もあるのだと感じます。
要は、まぐれ勝ちも大事。まぐれでも自信につながるから。ということであります。
試合では負けることばかりだった私から言わせてもらってもそうです。
要は、まぐれ勝ちも大事。まぐれでも自信につながるから。ということであります。
試合では負けることばかりだった私から言わせてもらってもそうです。
「負ける気がしない」という言葉は、格闘技の試合では好んで使われていたのですが、「ここまで必要な練習をやってきたんだから」という納得感の上に、このセルフエフィカンシー=「できる感じ」があることは大事であると皆実感しているから好んで使われたのであると思います。
ただ実際、試合なんかの勝負事ですと、我慢比べみたいな部分もありまして・・・そうですね、この感じは崩れちゃったりすることもあります。
実は、相手があることですから、相手のイメージに多かれ少なかれ左右されるところがあり、相手といえども自分の投影である部分もあるので、実は「ガチッ」とぶつかってみないと分からない部分があり、自分の想定内の部分が100%ではないので、想定外イメージが一定以上あると、けっこう「出来る感じ」のセルフイメージも崩れますね。
またセフルフイメージ維持が、我慢比べみたいな部分もよくあります。スタミナが切れてくると、セフルイメージが切れてしまうなんてこともあり、なかなか勝負事が入ってくると一筋縄でいかなくもありますが・・・
この辺は、自分で取り組む運動は孤独でもあるが、取り組みやすくもあるかな。と、そんなことごとを徒然なるままに思いつつのおじさんの運動です。
この辺は、自分で取り組む運動は孤独でもあるが、取り組みやすくもあるかな。と、そんなことごとを徒然なるままに思いつつのおじさんの運動です。
いずれにしても運動において、特に一人でやる運動なら一層のこと、たまたま出来た動きを含め、「出来る感じ」によって既存のフレームオブマインドを外せますので、これがセルフエフィカンシーであるのかなと、そう思います。
フレームオブマインドってそういう使い方でいいのかな、と思いますが、最後のついでに、時々今でも聞いてしまう曲で、今ではあまりないようなメロディアスなプロレスのテーマ曲であります、田村潔司の「フレームオブマインド」。 ↓ ↓ ↓
この方のジムで教えてもらったことが一部私の糧になっています。

