準備運動は必要か | 動きの哲学、日常のヒント

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ピラティス、ストレッチ、ヨーガ、武道などの学びと想い。ピラティスの還暦男インストラクターが20年考えたこと

こんばんは。ピラティス&ストレッチインストラクターyou-suke(ようすけ)です。

 

 

メキシコ山岳地帯の走る民族としてここ数年注目されているたララムリは、走る前に準備運動をしません。なしです。


我々は、スポーツ前に準備運動をやってケガのリスクを減らすのが、当然になっていますけど、必要だというのは習慣や思い込みの部分もあるのかもしれません。

なぜ、われわれが準備運動が必要になるかを考えたい。

 

例えば、日本でも昔の剣豪っていますよね。
戦う前に準備運動をしたかどうか?

 

Yatheesh GowdaによるPixabayからの画像


 

津本陽さんのチャンバラ小説を読んでいても、準備運動のような動きはしてないと思います。
このことは、示唆に富んでいると思います。

つまり、日常的に使わない筋肉を鍛えて強くしたとしても、常に使わないと、元の弱い筋肉にもどります(トレーニングにおける可逆性の原則)。これは、当たり前で自然なことです。
言い換えれば日常で使わない機能が衰えるのであるから、それはむしろ不要であるがゆえに衰えるともいえるのです。


とはいえ、今の我々は日常で体を動かせる機会が限られますから、鍛える運動をあえてやるわけです。しかしながら、昔の人は今に比べるとおそらく、大きな体幹部から発する運動から、手先足先まで動かす全身運動を日常生活でやっていたので、体を大きく動かす前に、特別に準備運動の必要はなかったんじゃないか?と推測しているのです。

そこで、我々は、普段生活のなかで使う筋肉の範囲を、江戸時代レベルは無理だとしても、せいぜい数十年前ぐらいの運動レベルに変えていけばいいと。ピラティス&ストレッチやヨガは補足的に調整のために行う、これが理想なのでは~、と考えるこの頃です。

だから、駅を一駅分歩く、なんていうのもいいんですね、すごく。

 

ではでは!