4月30日のブログで書いた、高見澤俊彦『秘める恋、守る愛』を読んでいる。
互いに秘密を抱えた夫婦と娘
ドイツの空の下
悩める家族の行方は-
たまたま目に入った新聞広告のこの短文に惹かれて、読むことになった新刊。
7日間の旅の行き先はミュンヘン、いまちょうど半分くらい「Day4」の章に入ったところ。
夫の直樹は今56歳、35年前の1983年にミュンヘンに語学留学していたという設定で、その時の忘れ難い思い出が今の旅行の合間に語られる。
実は、ミュンヘンは僕にとっても昔暮らした思い出の地なのだが、なんと僕が渡航したのも小説の設定と同じ1983年。という偶然つながりで、その時代のその場所の思いを共有しながら不思議な思いで読んでいる。
さて、読後の感想は読み終わった時にゆっくり書くとして、今日はこの本のタイトルの中にある「恋と愛」についての思いつきを。
「恋と愛の違いは?」 これは昔から誰彼となく何度も語られた話題だと思う。
今読んでいる『秘める恋、守る愛』には、ドイツ語の副題があって『Geheime Liebe, Heilige Liebe』という。
「恋」も「愛」も両方とも「リーベ」ではないか!英語でもおそらく「ラブ・ラブ」だろう。「恋」と「愛」の違いがあるのは日本語だけなのだろうか。
2000年頃、ある日本の経営学者が、マーケティングの本の中で、愛と恋について書いた文章を読んで、なぜかそのことを今も覚えている。
本が手元にないので正確ではないが、「恋は見返りを求め打算的、愛は見返りを求めない無償のもの」と言っていた。
僕はこれにあまり納得できなかった。「打算的」とか「無償の」という修飾語は、「恋」とか「愛」の前について言葉に意味を加えるものであり、「恋」とか「愛」そのものの定義の中に包含されるものではないと思ったから。
まあそれはさておき、面白いことに、その経営学者は「愛が無償である」ことの理由として、映画『ある愛の詩』を取り上げていた。この人も、僕と同じように若かりし頃この映画を見て、涙を流しながら感動したんだろうなぁと。だから20年たった今もまだ覚えているんだろう。
さて、ここからが「恋と愛」に関する僕の個人的結論。
僕は1971年3月に日本で公開された『ある愛の詩』を見て「アリ・マックグロー」のことが大好きになった。
そしてそれ程時を経ず6月に公開された『小さな恋のメロディ』を見て「トレーシー・ハイド」のことも大好きになった。
まだ中学生だったが、いずれ英国か米国に渡ってどちらかと一緒になりたいなどという妄想さえ持っていたかもしれない。
この二つの映画が、僕の「恋と愛」の個人的な定義に長くて大きな影響を与え続けているのだ。
「恋」とは「小さな恋のメロディ」のようなもの。「愛」とは「決して後悔しない」「ある愛の詩」のようなもの・・・
また、少年のように長々と恋だの愛だの語ってしまった(^_^;)