あなたは多床型トイレ共用の古いタイプの特養の介護職員です。夜勤でワンオペ(フロアを職員一人で対応しなければならない)の時、歩行時の転倒リスクのある利用者(Aさん、Bさん)が2人同時に起きだしてフロアを別々の方向へ歩きだされました。応援は電話すれば15分で他職員が駆けつけてくれます。

 

 Aさん(88歳)は家に帰るといってかぎのないフロア出口へ向かっています。幻視があり宙に浮かぶ「何か」を掴もうとされふらつかれることもありますが、普段はしっかり歩かれ階段の上り下りもできます。6か月前、ひとりで施設外に出られ、転倒して5針縫うケガをしているところを発見されました。いま外では雪が降っています。3か月前に、いつできたのかわからない胸に大きな内出血斑と肋骨にひびがはいって本人の痛みの訴えで施設側が認識しました(あなたの夜勤後に)。施設側の調査でも原因が特定できませんでした。役所は虐待認定こそしませんでしたが職員によるものと疑っています。

 

 Bさん(92歳)はフロアを伝い歩きしながら共用トイレに行こうとしています。歩行は支えがないと転倒するリスクがあり、トイレに座っていただいた後すぐ終わるときもあればなかなか終わらないときもあります。用を足された後ズボンを挙げないで職員がいなくてもご自身だけで歩こうとされます。半年前、あなたの夜勤の時にトイレで転倒された際、思い切り顔面を床に打ち付け顔一面内出血斑で左手首を骨折されました。ご家族は「今度こんなことがあったら訴えてやる、賠償ものだ」と息巻いていました。施設長からも今度転ばさせたら非正規職に落とすと宣告されています。

 

(問題)あなたは介護職員としてどちらの利用者の対応を優先をすべきでしょう。

 

(教科書的模範解答) 

どちらの利用者のケアも疎かにしてはいけません。何とかしなさい。

 

 

 上の問題はややつくられ誇張されたシチュエーションです。しかし似たようなすぐ対応しないといけないリスクのある利用者が複数人いるのに体が一つしかないという状況は多くの特養などの夜勤でワンオペする介護職員が経験することではないでしょうか。対応としてはAさんをなだめつつBさんのところに誘導してBさんのトイレ介助をしつつAさんの帰宅願望を傾聴して「外は雪が降っていますし今は深夜ですしこの辺りはタクシーも捕まらないから朝までお待ちいただけないでしょうか」などと説得し落ち着いてもらう。あるいはAさんに飲み物を提供し椅子に座ってもらっていて少し落ち着いてもらいその間、Aさんの様子をみつつBさんのトイレ介助を行う。などいろいろとあると思いますしもっとうまいやり方があるという方もいらっしゃるかもしれません。  

 

 ただこういうものは、前うまく言った対応が今回はうまくいかない場合もあります。介護者が「望んだ」通りにご利用者はならないことのほうが多いものです。この場合で言えばAさんが制止を振り切りフロアの出口に向かい、Bさんに椅子に座って待ってもらおうとしても我慢ができずトイレへ歩かれてしまわれる。その場合、Aさんが玄関を出て雪を見て思いとどまってくれるとは限らないとBさんは転倒せずご自身で何とかなると信じてAさんへの対応を優先せざるを得ないでしょうか。

 

 私はいくつか介護の研修を受けていきましたがこういう判断をするための研修は一度たりとも受けたことないしそれを身に着けるケーススタディのような研修も知る限りないと思います。利用者間でケアの優先度をつけるようなことをするのは憚られるのでしょう。(ただ研修に参加した人たちと休憩時間などでの雑談で他施設の「うまいやり方」を知ることができたりします。コロナでたいていの研修はZOOMとかで行われて雑談する機会がなくなりましたが5類以降また対面での研修が再開されるようです)

 

〇アンガーマネジメントとしてのワンオペの解消

 

 「(特養の)夜勤は魂を削られる」とはとある先輩職員の言葉です。特養に限らず介護の夜勤はいわゆる3Kのブラックな労働環境で介護職員の負担となり高い離職率にもつながるのですが、それは利用者への不利益にもつながっています。だいたい新聞に載る程度死亡するなどの介護職の虐待は夜勤のワンオペで起きています。認知症のご利用者のケアは本当に大変です。介護職を選んでカネ(元手は社会保険料や税金)もらっている仕事だから文句たれずにやれみたいなことを言う人もいます。多分やむを得ず選んだ人が大半だと思いますし、皆、職場環境に不平不満を言いつつお金をいただく仕事として頑張っているのです。試しに日本で月20万のベーシックインカムを実施すれば真っ先に崩壊するのは介護業界だと思います。

 

 おむつ交換の時、巡回時に気づかず、便まみれにさせてしまったご利用者のケアは便をいじった手で顔をひっかかれながらするので精神的肉体的に本当に、本当に大変です。2つのフロアで階が異なると一晩で階段を何度も駆け下り駆け上がり利用者の対応をしなければなりません。下の階でポータブルトイレに座って見守りしていると上の階の転倒リスクのある人の部屋のコールが鳴り、また来ますから座ったままでいてくださいと言って駆け上がり上の階の利用者の対応をしてまた駆け下りたらポータブルトイレから床に転落されていた。あるいはリスクを考え、転倒リスクの方の対応をしたためコールが鳴ってからだいぶたって謝罪しつつ訪室すると罵声とコップの水をかけられる。介護職の夜勤は人間力より忍耐力の試される戦いでもあります。殆どの人が辛うじて制御できています。

 

 虐待事件のニュースなどを見る限りストッパーとして虐待を制止する他の職員がいないのでヒートアップして事件を起こしてしまっているような気がします。わたしもワンオペのときはアクシデントを防ごうとするあまり、ご利用者にキツイ言い方をしてしまったり、素早く済ませて他の不穏な利用者に対応しようとして「雑な」ケアをしまったりすることがあります。

 私も他の職員と同じようにアンガーマネジメントの研修とかを受けています。しかしワンオペで切羽詰まって精神的に余裕のないときに教科書に書いてあることを思い起こす余裕はありません。虐待防止の本質は職員体制の問題点の解決です。

 

 夜勤をする介護職にとっての最も効果のあるアンガーマネジメントはワンオペを無くすことです。何故どこも人手不足でワンオペをせざるを得ないのでしょう。介護報酬がチープで施設が低い給料しか払えないからどこも慢性的に人手不足なのです。ワンオペが生じないように施設が人員配置にできるよう給料面で介護職を選ぶ人が増えるよう国の財政的な支援が必要なのです。人手不足解消のためには税金や社会保険料が元手の介護職の給料をもっと上げてください。

 その財源のために増税や社会保険料が行われても構いませんと思いませんか。介護職にとってトータルでプラスになればもっと介護職を選ぶ人が増えモチベーションが上がり虐待も減るのです。