ダンスが好きで、いろいろなダンスを経験してきました。
ソーシャルダンスは大学時代に社交ダンス、
そして、社会人になって、サルサの魅力にハマり、
そこから20年以上経った今でも大好きです。
最近はアルゼンチンタンゴにも再び挑戦中。
そこで、ふと、なぜ自分がここまでソーシャルダンスに惹かれ続けるのかを
考えてみました。
同じダンスでもバレエやジャズなどの
エンターテイメント性の強い芸術的要素を色濃く出すダンスと違って、
ソーシャルはもっと「会話」のようなもの。
もちろんダンスですので、芸術的要素はあります。
けれど、1つの共通で聴いている音楽を通じて相手と会話をするダンスなのです。
昨今、インターネットが主流となり、いろいろなことが簡単にアクセスできる環境になって、
ますます人対人が疎遠になりつつあります。
そして、簡単な仕事はどんどんコンピュータ化され、人の手を使う仕事が減っていく。
人の手を使う仕事も給料の高い仕事はコンピュータを駆使して行われる頭脳プレイ。
効率化されスムーズに滞りなく進むフローはビジネスにはいいけれど、
そこには全く人間の旨味のようなものが感じられない。
そして、私はそんな旨味である「個性」をダンスに求めているのかもしれない。
だから「自由」に踊れるソーシャルはとても魅力的。
「自由=好き勝手」に踊るわけではない。
自由とは土台があってこそ存在するものであると思っている。
社会で言えば、秩序や道徳が「土台」
その中で「自由」がある。
そして、ソーシャルダンスでは、
音楽とリズム、そしてそれに伴うステップが「土台」
そして、「自由」はその音楽の捉え方や感じ方、表現の仕方。
だから、いろいろな人と踊るとそれぞれ違う表現の仕方があり、
違うコネクションがあり、それに呼応するようにフォロアーは踊る。
それを「これは違う。」と否定せずに、「こういう踊り方もあるんだ」とか
「こういう音の取り方するんだ」と個性の違いを求めて受け入れることが大切。
そして、お互いが認めて受け入れると、すごく気持ちよく相手と踊れる。
って、これがすごく難しいんだけれど。。。
だから同じような個性を持っている人とはすんなり踊れたり、
反対に全然ちがった踊りをする人とはすごく呼応できずに終わってしまったり。。。
偉そうに書いてますが、私は踊りのエキスパートでもなんでもなく、
ただ普通のダンス好きの人間の一人です。(笑)
でも、こんなことを眠れない夜にふと考えて、すごいこと考えてしまった。
これって、世界から争いなくせるかも?
だって、それぞれが個性があって、違った文化で生きていて。
だから常識も違う。
けれど、それを否定せずに受け入れて手をつなぐことが平和に繋がるんじゃないかなって。
だから、タイトルにもあるソーシャルダンスを極める先に何があるかというと、
「争いのない平和な社会」
が創り出せるという希望があるのではないかなと思ったわけです。
かなり飛躍してます、はい。
でも、自分では気に入りました。(笑)
だから、これからソーシャルやろうかと思っているみなさんに
1つアドバイス。
ぜひ音楽を聴いてください。
音楽が全てです。リズムが全てです。
これが土台。音が聞き取れなかったら「会話」できません。
好き勝手踊ることになっちゃう。
今、ソーシャル教えていますが、音楽が聞き取れない人の
多いこと多いこと。
もっともっとソーシャル人口が増えるといいな、この町でも。
そう願いながら、日々精進していきます。
