写真は「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の舞台スイスのジュネーブ湖


やる気のない掛け合い

ディープ・パープル「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。かつてセッションでドラムを叩いたことがあり、今はバンドでキーボードを弾いています。ところがディープ・パープルの代表曲にも関わらずバンドで弾いていて一度も楽しいと思ったことがありません。バンドの演奏バージョンはギタリストの要請で「ライブ・イン・ジャパン」アルバムから録音通りの構成。エンディングに鍵盤とギターの掛け合いがあります。しかし現状は単にそれぞれ弾いているだけ。お互い顔も見ません。その上曲全体で7分半強。聴いている人は忍耐を強いられます。私は何度も鍵盤ソロと掛け合いをやめたいと言ったのですが聞き入れられませんでした。


ギタリストはリッチー・ブラックモアのライブ盤をとにかく完コピしたい。大好きなリッチーのプレイを追体験したい気持ちやリッチーファンのお客様がそれを求めていることも知っています。しかし私や一般的なお客様にとってはただただ退屈な時間が続くだけ。


しかも演奏中の態度も含めてギタリストとは齟齬が生じています。私が不満を抱えながら仕方なく弾いているのもお客様に失礼です。バンドの鍵盤弾きとしては本番までに相棒たるギタリストとの関係性を修復しなければならないところまできていました。


バトルの緊張感

私は複数楽器によるソロの応酬をアルバム録音通りに弾く必要はないと考えています。互いのソロを繰り出すことは楽器を通した会話です。今現在の自分で出来得る限りのフレーズを搾り出すことに意義があると思っています。


お手本のミュージシャンそっくりに弾ける人は技術的に優れた演奏者ですが、所詮本人ではありません。スタジオ録音盤はこれが教科書ですから完コピがベストです。クラシックの楽譜に相当します。

しかしライブ盤ソロバトルと称して既に録音された音を全員なぞっているだけなら、もはやライブでバトルの意味があるのかどうか。聴いている人を見くびってはいけません。音楽に詳しくなくても緊張感のあるなしなどは誰にでもすぐに分かります。

掛け合いはその場限りの先の見えない緊張感があるからこそ面白いのであって、緊張感を持たなければ上手く行く筈もないのです。



改善策

ギタリストの態度に改善を求めると同時に自らも演奏を変えることにしました。


ギター対鍵盤バトル前の長尺鍵盤ソロは今まで入り8小節をジョン・ロードのライブコピー、続く8小節をスタジオ録音盤エンディング、後半はノタノタした適当なアドリブで埋めていました。このアドリブを攻撃的な速弾きにします。目を覚ませという意味です。ソロの入りで音色は歪み系VOXから速弾きが聴きとりやすいジミー・スミス系のクリアなハモンドにチェンジ、パーカッションも効かせます。ドラムに加えて他パートのコード進行があるので尺は変えません。



ギター対鍵盤バトルに入るとリズム隊はリズムを刻まずロールでドラムはサッシン(注)、やりたい放題の舞台が整います。私はとりあえず尺を揺さぶることに決めました。音域も4オクターブ下まで突っ走ります。いつ終わるのかわからないので、こちらの出すサインを集中して視ていなければギターは入りでフライングか大穴をあけてしまう仕組みです。


エンディングも変えます。どのソロも何種類かパターンを考えてはいますがどれを出すかはその時次第。鍵盤は「ド」で終わって欲しいというドラマーの意見は汲みます。


今までの態度は経験不足の為でしたというギタリストの弁ですが、これで次回のスタジオ練習はどうなるか。


注:サスペンデッドシンバル。シンバルを叩き続けて持続音を表現する演奏法。