流れるままに、流されるままに生きてきたのだと思う。何度も後悔して、やり直したいという気持ちが胸の中に渦巻いている。今まで起きたことをなかったことにすることに躊躇いはない。
そんな筈が無いだろう。
今日もまた、日常の些末なことに心を濁らせた。今更、その黒い一滴が落ちたところで変わりはない。とはいえ、心が汚れた不快感は洗い落としたい。文章として残すのは、そういった理由が大きい。形として残るのなら、例え不快な出来事でも、それすら自分が成長するための過程となったものならば愛おしく思える。
その汚れを形にする途中で、決まって思うことがある。
「もう少しうまくやれていたら」
「ここまで歪になる前に矯正できたかも」
そう思うのは仕方ないのだろう。失敗を悔やみ、その原因が自分にはない、あるいはもう手の届かないところにあるとしても、誰だってそう思わずにはいられない。その営み自体は否定しない。
その考えに至らなかったこと。否定するには十分な理由がひとつだけあって、それだけは捨てられない。
流れに身を任せた人生が今の自分と劣悪な環境を作っているのだとしても、そばにいる限り、これほど幸せなことはないと笑うことができる。
求めることができる。声を掛ければ届く距離にいる。言葉にして伝えようと思える。
運命を信じるには、充分すぎる。