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♪ぴこにゃんの真向勝負♪ ~鋼鉄篇~

ロックとアイドルについて語ります

 

 

 

 

エルフロートとの最後のチェキ。左からリカ、ユヅキ。写真は解散日の2020年10月30日、博多で撮影

 

 

 

 

妖精アイドルグループを標榜するエルフロートを主題としたブログ記事は、今回が最後になるだろう。

 

解散から5カ月。現在も新型コロナウイルスの感染拡大によって社会情勢が二転三転しているのは相変わらずだが、人類が経験を積んだことにより、少しずつ希望も見えてきたように思える。インディーズのアイドルシーンも「コロナとの付き合い方」を会得し、ライブハウスでの感染防止策を徹底。世を覆っていた絶望的な空気からは、いくらか脱却してきたのではないか。

 

しかし、エルフロートは既に解散した。事実上のコロナ廃業である。所属事務所「ブルーフォレスト」と共に消滅し、メンバーもファンも母船を失い、散り散りになった。一方、終幕を迎えるまで、リーダーのリカが妖精の旗を掲げ続けたことも間違いない。深く敬意を表したい。前回の記事に続くかたちで、トップに就任した後にグループを牽引したリカの軌跡などを振り返ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月19日にリーダーのマアヤが卒業し、新たな最高指導者としてリカが即位したエルフロート。同月一杯は2人組でライブを行い、新メンバーを迎えてのトリオ体制に備えた。1年半前に加入したときはおぼつかない面が多々見られたリカだったが、驚異的な成長力を見せつけ、たくましくなった。「そりゃ、リカがリーダーになるよな」と誰もが納得した人事だった。

 

 

リーダー就任直後のリカとのチェキ。秋葉原の「あきちか」で撮影

 

 

 

「皆んな、宜しくネ」

 

リカは独特の表記で、ツイッターを通じてファンに呼び掛けた。ストイックだった前任者とは異なる柔和なキャラクターなのだが、本人はあくまで自分らしいかたちでの力強いリーダー像を想定し、模索していたのだろう。9月1日からの新体制への期待感を膨らませる事象として、お披露目ライブを「全部新曲」で実施するとのアナウンスもあった。会場となった東京キネマ倶楽部で、新生エルフロートは「TRIPPER ~一緒に見る夢~」でダンサブルな和製ロックを新たな代表曲と位置づける狙いで強調した。

 

 

 〽 一緒にいれたらいいな いろんな場所へ行きたいな どんな困難も一緒に乗り越えて

 

 

新装開店を企図し、以降のライブも従来の定番楽曲の大半を封印した。11月の台湾遠征もそのスタンスで通し、新曲中心のセットリストで年末まで活動した。

 

これには賛否両論があった。一般論でいって、アイドルグループはバンドと比較してメンバーの新陳代謝が激しいので、支持層も流動的になるのは否めないところだ。コアなファンを逃さず、かつ新規の顧客をつかむという難しいさじ加減が求められていた。この時点でエルフロートは5年以上のキャリアがあり、地下アイドルとしては一定の地位を築いていただけに、バランスの取り方には相当悩んだであろうことは推察できる。

 

この試みは、結果的にはうまくいかなかった。新メンバーのナナが卒業し、リカとミオの2人体制で20年1月の渋谷単独公演を迎えることが確実な情勢となり、吹っ切れたのだろう。優れた楽曲を多く持つグループだけに、セットリストの縛りを解き放ち、その時点における最大限の火力でワンマンライブに臨んだ。そのレポート記事はこちら。

 

エルフロート単独公演 「妖精の旅」 ライブレポート

 
2020年1月8日、渋谷WWWX単独公演の集合写真。グループ公式より(以下同じ)
 
 
 
 
当時の願いはただ一つ、「強いエルフロートであってほしい」ということだった。そして、公演自体は間違いなく強かったし、猛烈なステージングを武器とする点は全く変わっていなかった。他方、同グループの単独公演としては動員がやや寂しく、ここはメンバーが安定しない状況を反映していたといえる。「今後に期待だな」。私はそう思った。
 
事務所の同僚であるI.D.And Fly LooM(アイフラ)、盟友のアンダービースティーとの全国ツアーでは2人体制で突っ走った。人数の少ないアイドルユニットはステージも物販も不利になるものだが、リカは看板を背負って3月まで奮闘した。そして、メンバーの加入がアナウンスされ、仕切り直しのタイミングが来たと思ったのもこの時期だった。
 
 
 
 
エルフロート、アイフラ、アンビスの3マン全国ツアーのデジタルフライヤー
 
 




以降は詳細を語るまでもないだろう。2020年3月にはコロナ禍の第1波が日本に押し寄せ、25日のあきちかライブの最中に小池百合子都知事による「外出自粛要請」の速報がスマホに通知されたのをよく覚えている。4月には政府が緊急事態宣言を発令し、エンターテインメントシーンは完全に動きを止めてしまった。4月17日の全国ツアー最終公演も延期された。
 
 
 
 
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宣言解除後、エルフロートは7月に公演を再開。新メンバーのユヅキはポテンシャルを感じさせる人材で、「自粛の妖精」なるエッジの効いたダジャレ系キャッチコピーも秀逸だった。ただ、コロナの第2波が夏のうちにやってきた。3人のメンバーは深く考えたことだろう。ほどなく、ミオが卒業と就職を発表した。
 
そして、9月3日のミオ卒業ライブで、10月一杯でのエルフロートの解散が発表された。リカは自身の2年半のエルフロートの活動について、「文化祭のような毎日」と総括した。名言だ。
 
 
2020年9月3日、渋谷CLUB QUATTRO単独公演の集合写真
 
 
 
1月の写真と比較すると一目瞭然なように、パンデミック後のライブでは客が全員マスクをしており、間隔を空けた座席の前に固定されているのも時世を表している。年単位で、エンタメ界隈は元に戻ることはできない。そんな寂しさもこの写真に宿っている。解散発表当時の感慨については、以下の記事をご参照いただきたい。
 
 
10月24日、エルフロートはアイフラ解散公演を応援する新宿ReNYでのライブに出演した(アンビスも出演)。素晴らしいパフォーマンスだった。セットリストはこちら。
 
 
①時折マーメイド
②ライク ア ティンカーベル
③一凛哀傷歌
④ハートウォール
⑤ライフアクセル(アイフラカバー)
⑥錯覚の喜雨(アイフラカバー)
⑦トラストブロッサム
⑧奇跡の旗
 
 
 
「もう思い残すことはない。エルフロートはいつも通り最強のライブアクトだった。俺は一生自慢できる。こんなに素晴らしいアイドルのファンだったことを」
 
 
私はこのようにツイッターに投稿した。リカが最後まで最前線で、エルフロートの旗を掲げ続けてくれたことには感謝しかない。本人は既に引退の意向を固めており、鬼気迫る勢いがパフォーマンスに宿っていた。エルフロート史上、最もヒリヒリするテンションがそこにあった。リーダーとしては結果的に不運だったが、グループ史に残る仕事をした最高指導者だったと私は断言する。同時に、ユヅキが短期間で仕上がっていたことも強調しておきたい。
 
10月30日のエルフロート解散ライブには参戦しなかった。親族の結婚式のため、福岡県にいたからだ。代わりに、本記事の冒頭に添付した写真を撮影し、博多からエールを送った。数年もの間、生活の中心にあったエルフロートはあっけなく消滅してしまった。
 
 
 
 
 
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時は流れ、この記事を書いているのは2021年3月31日の夜。令和2年度の年度末である。エルフロートの解散から5カ月が経過した。
 
この間、コロナ第3波による緊急事態宣言再発令と解除があった。そして今、変異株による第4波の到来が指摘されている。どこまでしつこい疫病なのか。私のささやかな、しかし生きがいだったアイドルライフを奪ったウイルスのバカヤロー。他方、日本は遅れているとはいえ、大局的に見ればワクチンの接種が世界的に進みつつあり、いくらか希望を持てる局面に入ったのも間違いないだろう。
 
エルフロート解散時のメンバーだったリカは、リーダーとして鮮烈な印象を残したままアイドル界から去った。ユヅキは新進気鋭のユニットHikuteAmataで新たな可能性に賭けている(アイフラ解散時のメンバーだったmeiも同グループに加入)。ブルーフォレスト事務所に所属していたアイドルは、私の個人的な感覚において「人生の大事な時期を共に過ごした戦友」であり、他にも現役で頑張っているメンバーが複数おり、それぞれの成功を祈っている。一般人としてアカウントを開設するケースも増えてきた。
 
エルフロート、及びブルーフォレスト事務所は跡形もなく消え去ってしまったが、私の脳裏には各場面の光景をはじめとした膨大な記憶が詰まっている。心に突き刺さったたくさんのサウンドとともに。コロナが全てに絡んでくる日々の仕事にウンザリして久しいが、くじけそうになった際には、いつも音楽が私の心を鼓舞してくれている。疲れ切って思い出にひたる必要があるときには、いつだってメンバーと一緒に撮ったツーショットチェキがあの時に戻してくれるのである……と書いて締めくくりたいところだが、それはできない。
 
 
なぜなら、人生最大の宝物であるチェキ帳を紛失してしまったからだ。
 
 
20年9月3日、エルフロートのミオ卒業単独公演で解散が発表されたとき、私はショックのせいか、終演後に渋谷の路上で一時的に意識を失った。分かりやすく言えば、行き倒れてしまった。短時間で意識を取り戻したが、気づいた時には、それまでの数年間で撮影したものを全てまとめたチェキ帳の入ったカバンがなくなっており、渋谷警察署への問い合わせもむなしく、今日に至るまで発見されていない。もう二度と戻ってくることはないとみられる。
 
 
 
「財布をなくすより、チェキがないことの方がショック」
 
 
 
これは2年ほど前、テレビ朝日の報道番組の取材に対して私が発した迷言だが(詳細は マアヤのことすべて 第六章 ~高尾編~ をご参照のこと)、チェキの入ったカバンを電車内で紛失したあと、手元に戻ってきたからこそネタとして生きた。しかし、今回は1枚も戻ってこなかった。
 
まあ、私はお気に入りのチェキに関してはツイッターに上げているし、仲間とのDMグループでもバックアップしている。ウェブ上で見られないことはない。物体としてのチェキがなくなったとしても、この胸に宿るメンバーの笑顔が色あせることはない。チェキの紛失は完全に自分の責任なので、それなりに納得はしている…………わけがないじゃないか!!
 
 
 
 
どこの誰だか、知らないけどさ!!
 
 
 
 
俺のチェキ帳を返してくれ~!! (号泣)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
終 劇