ライブアイドルグループのエルフロートは2014年5月に始動し、20年10月に解散した。およそ6年半に及ぶ活動のうち、最後のリーダーとなったリカが新メンバーとしてグループに加わったのは18年4月。エルフロートの活動期間を便宜的に区分するならば、リカは活動後期を貫く「幹」だったといえる。
前回書いたように、加入当初はいかにも「新人の妖精」だったリカは、名古屋単独公演を含むワンマンライブ3本を設定した18年夏をなんとか走り切った。この頃、足繁くライブに通っていた私から見て、リカからは着実な自力強化が感じられたものである。エルフロートはその勢いのままシングルCD「等身大ユートピュア」のリリースイベントに突入。メンバーの離脱で4人組からトリオに戻るという誤算もあり、せっかく新たに構築しつつあったフォーメーションの再考を迫られた側面もあったが、結果的には「少ない人数で筋肉質なショウを披露する」というエルフロート特有の持ち味を新たな体制でブラッシュアップすることに成功したのである。
ここで、リリイベの公演日程を見ていただきたい。
(リリイベのデジタルフライヤー。リカは画像左。グループ公式ツイッターより)
過酷なスケジュールだ。もともと「年間300本」と称されるライブ本数を誇るグループだったが、地下アイドル界におけるリリイベは特別な意味を持っている。公演先でCDの予約を獲得し、事実上の発表初日におけるオリコンデイリーチャートの順位を賭ける戦いなのである。「オリコン〇位!」という金看板を手にするため、メンバーのライブ後の営業(笑)は通常よりずっと負荷が掛かるものとなる。
リリイベの甲斐あって、シングル「等身大ユートピュア」は18年11月12日付のオリコンデイリーで5258枚を販売し、チャート1位に輝いた。しかも、韓国の国際的人気グループBTS(防弾少年団)を抑えてのものだ。BTSは発表から1週間後だったというマジックもあるのだが(笑)、それはそれとして、エルフロートは前年の「時折マーメイド」に続く2度目のオリコン1位という勲章を手に入れたのだった。そして、リカはこの時期に「確変」した。
明らかに、化けた。当初は全てにおいておぼつかなかった新人が、強靭なパフォーマンスを誇る妖精に転生したのである。
リリイベ最終盤にグループ最古参のモモが年末限りでの卒業を発表するのだが、それもリカ本人に影響を及ぼしたとみられる。3人組から1人抜けたら、2人になってしまう。相当のプレッシャーがあったはずだ。同時に、当時のリーダーだったマアヤとの関係性も見逃せない。過去記事の通り、私はマアヤ推しなのだが、極めてストイックな最高指導者として知られた彼女の弱点として「もろさ」が挙げられる。強気だが泣き虫。要するに繊細なタイプだった。そんなリーダーを、リカは大らかな強い精神力で支えた。この時期、インターネットの一部でグループへの誹謗中傷があったが、リカはツイッター上で毅然と反論した。柔和な人という印象を持っていた私は、正直驚いた。しかし、活動終了まで見た今となっては、のちの「最高指導者リカ師」の萌芽が感じられるエピソードでもあった。
モモが卒業する直前の18年12月はそれまでのエルフロート史上、最も強いパフォーマンスを誇るライブアクトだった。一般的にはミズキ、モモ、マアヤ体制だった同年4月以前が「黄金時代」として認知されており、私も複数回ライブを体感している。17年のZepp Tokyo単独公演では主催者発表で1200人を動員しているし、集客面に限ってはそれに同意する。他方、ライブエンターテインメント集団としての強さは、一時的な4人組で模索した形が功を奏し、再びトリオ体制になってからしばらく経った12月からの方がさらに上回っていたと感じている。
エルフロートの強さとは何か。その一つに「脚の躍動感」が挙げられる。代表曲「時折マーメイド」やライブの定番曲「PAIN ~AIの証~」「無限大ファンタジー」では、歌を無視したような振り付けがそこかしこに散りばめられている。特にサビでバッと脚を振り上げるパートはチアリーディング上位団体のパワフルなグルーブに比肩しうるもので、それを歌いながら披露する様はアイドル界では他にないオリジナリティーを放っていた。
リカは加入当初、パフォーマンスが冴えなかった。しかし、日々の努力が結実し、フロアから目視できるほど筋肉が盛り上がり、切れ目のついた脚で不条理な現実を蹴り上げた。変な意味で捉えてほしくはないのだが、私はエルフロートのライブでは脚が見えるポジションで参戦することを心掛けていた。フィジカル面の躍動が感動を呼ぶ。内村航平の体操にしびれるような、トップスポーツと同様のカタルシスがそこにあった。これは多くのファンに同意してもらえるのではないかと思っている。
19年1月にミオが加入。もともとアイドル界のキャリア組で、同じブルーフォレスト事務所の別グループから移籍してきた彼女は瞬時になじみ、トリオとしてのエルフロートはさらに強くなっていく。リカはそれまで「ペーペー」だったはずなのに、いつの間にかグループ及び事務所のナンバー2となった。あるファンが指摘していた通り、エルフロートは事務所の看板グループで、そのトップはレーベルの総大将。ほどなく訪れるリーダーの重要な責務を、リカはマアヤの横で吸収していた。
先輩の在り方をなぞる必要はない。リカはリカであればいい。そのリーダー像を、本人は知ってか知らずか、自然に学び取っていたはずだ。彼女特有の人間性は、19年前半の集合写メにも刻印されている。私がメンバー3人と一緒に写った写真2枚を見ていただきたい。
(2019年1月31日の写メ。写真右のリカは私の挙動がツボだったらしく笑っている)
(2019年3月26日の写メ。花見コンセプトで、写真左のリカは妙にかしこまる私を見て笑う寸前)
ファンからバカなノリを仕向けられたとき、リカはいつも正直に笑っていた。笑われたのは私だけではないはずだ。たぶん。さまざまな曲者(笑)を相手にする必要がある地下アイドルシーンにおいて、こうして笑い飛ばせるのは一つの武器だと思う。言い換えれば、心がデカい。ふところの広いビッグな人物といえる。
ライブアクトとしてのエルフロートは、マアヤ、リカ、ミオの体制だった19年1月から8月にかけ、さらに磨きがかかってゆく。個人的にはグループ史上最強のシーズンだったと認識している。残念ながら動員は伴わなかったけれども、黄金時代とされる17年当時のライブDVDと比較してもステージングはさらに強靭になっていたと断言できる。先に上げた脚の躍動感に加え、腹筋の切れ方、そして一つひとつの所作のスピードが違う。井上尚弥の鍛え抜かれたボクシングのような、圧倒的なパワーがそこにあった。以下、19年当時のエルフロートのテレビ出演動画を添付し、歴史に刻んでおきたい。
エルフロート 「奇跡の旗」 ライブ 2019年6月22日
エルフロート 「loser」 ライブ 2019年8月3日
(続く)