老いを考える その1 | Agunes~☆ほのぼのブログ

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お出かけ・時折介護のことを綴ります
微笑は幸せを運び、その喜びは心を綺麗にすることを信じて
  

ご訪問ありがとうございます(*^_^*)

 

とっても久しぶりのブログです(-_-;)

もう皆さんに忘れられたかも・・と思いながらの投稿です(__)

もし、気がついて立ち寄ってくださった方には感謝です!

 

 

夏の間は

今年は酷暑だというのもあったのですが

旅行もせず、お出かけも少なかったです

 

 

 

今回は、久しぶりなのに真面目なブログです

お付き合いくださると嬉しいです

 

 

今年の春から約6ヶ月、命と向き合う時間が多かったように思います

そして、最近、またそれが加速して・・

 

ちょっと心のダメージが・・泣

日頃は、楽天的な考えの私ですが、続くと辛いものですね (´;ω(´;ω;`)ウッ…

 

 

 

 

 

 

職場が、4月に移転して

その反動かはわかりませんが

環境の変化もあって

お元気だった入居者さんが、亡くなられることが続きました

一週間前まで、一部介助で暮らしていた方が次々と・・

原因は、骨折や誤嚥性肺炎です

少しでもダメージを受けると、

やっぱり高齢ですから命に直結する

それを目の当たりにして、わかってはいるものの

お元気だったが故に、ショックが大きくなります

 

 

 

 

 

現在、有料の老人ホームに入居している私の母は

状態は横ばいといえるのか・・??

食事にむらがあり、食べない日もある

最近は、体幹が弱くなってきて

車いすに座っていられる時間も短くなり、

普通の車椅子からリクライニング式の車椅子に変わりました

母は今は、37Kgしかありません

もとは55Kgぐらいあって、身長は低かったので

太っていました。

今は顔もしわくちゃになり、見る影もありませんね

週に2~3回は行きますが

語りかけても、ほとんど反応がありません

命の期限はわからない、不確かですが

いつも覚悟して会うようにしています

 

 

 

 

主人の母は92歳になり、

あちこち痛みやしびれもあって、歩くのも大変なのですが

認知症もなく、義母より若い私の母よりも元気です

でも、やはり夏は暑いので、一人暮らしは心配で

今年の夏は、長男である主人が大阪に帰って1ヶ月同居しました

その間に、皮膚がんが見つかって、高齢なので

何もしないことになったのですが、検査やら通院やらで

9月に入ってからは、私が行き来しています

それでも、義母は毎日しんどいと言いながらも、

明るく、おしゃべりもたくさんして元気そうにしてくれるので

本当に助かっています

 

私の母も義母のようならいいのに~~

と思ってしまいますね

 

 

主人の母が暮らすマンションのベランダから

とっても眺めがいいんです

 

 

 

 

そして、とてもショッキングな出来事が起きました

 

しばらく、夢にも出てきて

涙がとめどなく・・

悲しすぎて、たまらず・・・

 

 

 

私には

子供の頃からとてもお世話になったご夫婦がおりました

そのご夫婦の子供になりたいと思っていたほど、

大好きで・・

 

私は

「おばちゃん」「おっちゃん」と言ってとても懐いていました

 

おばちゃんもおっちゃんも

いつ私らの子供になってくれるの?と、いうほどで

そのご夫婦にはお子さんができなかったので

余計に赤の他人とは言え、とても私のことを可愛がってくれました

 

社宅に住んでいた私の家とそのご夫婦の家は

2階と3階の上下に住んでいて

私はほとんどといっていいほど、

2階のそのご夫婦の家で過ごしていました

 

小学6年生頃だったか

社宅から引っ越しをして奈良に行ってしまわれました

でも、月に一度は泊まりにいって、

そのルーティンは中学を卒業するまで続きました

 

私はとても大人しい子供だったので

おばちゃんの明るさにいつも元気をもらっていましたね

 

いつもおばちゃんが言ってくれていた言葉・・

「●●がいたから、ちっとも寂しくなかった」

 

おばちゃんは、お料理も上手で

持ち物のセンスよくて、お洒落で、

スポーティーで、いつも自転車を乗りまわして

おっちゃんのことを

いろんな呼び方で愛らしく呼んでいた

おっちゃんも、おばちゃんを頼りにしていて

愛らしく呼び返して

お二人の仲睦まじい姿を微笑ましく見ていた

 

おばちゃんは

小学生でまだ身体が小さかった私にも

おっちゃんと同じ量の食事を作ってくれて

当時、食べるのが遅かった私を咎めもせず、

ずっと見守ってくれた

 

お泊りして帰る朝も、

朝早い出発になるので、ギリギリまで寝かせてくれて

出勤するおっちゃんが運転する車の中で

朝ごはんを食べれるようにと

あったかいお弁当を作ってくれた

車に揺られて食べるお弁当はとっても美味しくて、

甘い卵焼きが特に美味しかった・・その味が今でも思い出される

 

高校生の頃には

おばちゃんと母が着物の展示会に行った時に

私に似合う振袖を見つけて

これ、絶対●●(私の名前)に似合う!!と、

まだ成人になるには間があるのに、買ってきてくれた

 

おばちゃんのセンスを知っていたから

私はとても喜んで、20歳になるまでしまっておいた

そして、成人の日に着たんだよね

 

一方で、おばちゃんは

奈良に移り住んでからは

ボランティアで、

身体に障害を持っている子供たちのお世話をしていた

私が奈良に行くと、

いつもボランティアでお世話している

子供たちのことを楽しそうに話してくれた

深い愛がいっぱいで、

頑張ってその子たちのために働いている姿が

思い浮かび、私も嬉しくなった

 

子供が大好きだったのよね・・

自分の子供に恵まれなかったのもあるのかも・・

 

 

そんなおばちゃんとおっちゃんが、今・・・涙涙涙

 

 

長くなったので

次回に回します・・

 

ごめんなさい

 

 

読んでくださってありがとうございます(*^_^*)